デジタル・ヒューマニティーズ(071212)今後のゆくえが心配だ2007-12-12

ある意味では、内輪の話しになるのだが、しかし、これについては、どうしても触れておきたい。立命館GCOEは、毎週、火曜日に「火曜セミナー」を開催している。今は、主に、RAやPDという立場の人たちが、中心になって、自分の研究テーマを発表している。

火曜セミナーは、誰でも参加自由であるし、また、そこでの発表・質疑応答の様子は、すべて、ビデオに記録されている。これは、いずれ、公開される予定である。したがって、完全に、内部の内輪の話し、というものではない。公開の情報についての、私の意見である。したがって、ここ(私のブログ)に書いてもいいだろう。このように判断した上で書く。

昨日(2007-12-11)での発表のこと。

「地図情報のカタログサイトの開発-Web上の地図カタログ-」

と題して、RAの発表があった。内容については、WEBにどのようなデジタル地図があるか、そして、それを使ったGISの応用的な事例をしめしたもの。

ここまでは、いい。質疑応答になって、誰も発言しないので、私は、このように質問してみた、

発表は、すでに、GISに関する情報が確定したものとして、あつかっている。しかし、人文学系の研究者にとっては、GISそのものが、メタ情報なのである。あるモノやコトに、いつ・どこで、を確定していく、あるいは、解釈が、研究者によって揺れることもある。このことについて、どう考えておいでなのか?

こたえは、次のようなものであった。

自分が対象としているのは、一般の利用者であって、人文学研究者ではない。

この発言を聞いた瞬間、激怒するというよりも、唖然としてしまった・・・「GCOE:日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点」のRAという立場でありながら、そして、そのプログラムの一環であるセミナーの発表の場において、上記のような発言が平然と語られることは、このGCOEのプロジェクトの根幹にかかわる重要なことではないだろうか。

問題は、このような発言を平然とする、という発表者の意識。そして、その発言について、さらに何もコメントしない、会場の他の人々。

デジタル・ヒューマニティーズを考えるとき、今後、もっとも有望視されているのが、各種人文学研究情報を、GIS(時空間情報)の視点から、見直してみることである。人文学の相互の研究領域を横断するものとして、GISの発想と技術は、中核的な役割をになう。

ただ、自分の専攻である、地理学で論文を書いて学位がとれればいい、と思っているだけ・・・このようなメンバーが、RAとしているということ自体、教育を重視するGCOEとしては、きわめて問題であると、思う。これは、そのRA個人の問題だけではなく、指導する、教員の側にも、考えるべき点があるだろう・・・私は、このように思った次第である。

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