私的「じんもんこん2007」覚え書き(余録1) ― 2008-01-01
2008/01/01 當山日出夫
とりあえず、今回の「じんもんこん2007」のクロージングまで記述できたところで、Googleで検索をかけてみる。
発表者で、このシンポジウムについてついての言及が見つかった。
村上猛彦さんたち(和歌山大学)
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20071214/1197579913
論文集を読み直してみるのだが……個人的感想としては、文系・理系のミスマッチのよくある例のように思える。
情報工学の側からのシステム開発の意図はわかるのだが、では、このシステムで、仏教研究にどのように意味があるのか、正直な感想としては、判然としない。
1.金剛寺一切経を対象として、その研究のためなのか。その本文が、他の一切経とどのように異同があるのかの、テキスト・クリティックのための手法の開発なのか。これに限定したものであるならば、なんとか理解できる。
2.しかし、それだけの技術とエネルギーを、もっと他の文献に応用してくれないものかと思ってしまう。金剛寺一切経の価値は認めるにしても、東洋学全体をみわたせば、他に優先順位の高いものがあるように思えてしかたがない。
3.一般に、画像データの資料と、翻刻された(コード化された)テキスト、この対応関係・検索のためのシステム開発なのか。そうなると、テキストの異同のみならず、異体字処理について、きわめて煩瑣な手続きが必要になる。文献ごと、あるいは、研究者の研究目的によって、個別の、異体字変換テーブルが必要になる。この煩雑な、東洋文献学の実態について、どれほど理解しているのだろうか。(逆にいえば、このことは、文字研究にたずさわる、私のようなものの責任でもあるのだが。)
私の希望としては……このようなシステム開発が、情報工学の内部だけの技術的課題にとどまらずに、テキスト(写本にかぎらず)をコンピュータの文字に翻刻(文字コード化)することの本質にせまるものを目指してほしい。そのためには、常に人文学の側の研究者との密接なコミュニケーションが欠かせない。
「じんもんこん」のシンポジウムや、CH研究会、その他の各種の研究会などが、その場を提供するものとして、育っていってくれることに期待したい。これが、年頭においての、所感である。
當山日出夫(とうやまひでお)
コメント
_ takehikom ― 2008-01-02 07時20分29秒
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さて,ご指摘の3点ですが,問題意識の優先度としては「(優先度大)3>1>2(優先度小)」を考えています.電子化が期待されている他の文献や,異体字変換テーブルについて,全体像を見通せているものではありませんが,まずは技術的に手の付けられそうなところから取りかかり,学会発表などを通じて,専門家よりアドバイスをいただきながら,勢いづけてさらに進めたり,軌道を修正したりしています.
なお,経典テキストの校訂作業に関しては,12月1日(土)に国際仏教学大学院大学で催されたシンポジウムにて,落合先生が“21世紀大正蔵”という表現で提唱されていたほか,じんもんこんの2日目,A会場の最後の発表で,永崎先生が“落合方式”として取り上げれられていたのを強く覚えています.
「常に人文学の側の研究者との密接なコミュニケーションが欠かせない」については,おっしゃるとおりです.当日記からアンテナを張り,今後も興味深く拝読させていただきますので,よろしくお願いいたします.
なお,「文系・理系のミスマッチのよくある例」については,漢字文献情報処理研究の記事を念頭に置かれていると思います.研究室にあるので,読み直すことにします.