2008-02-17のGCOEシンポジウム(1)2008-02-18

2008/02/18 當山日出夫

2月17日の立命館GCOEのシンポジウムは、午前中は考古学の方、午後からは、近代文学の方と、かなりいそがしかった。両方とも、日本と韓国、共同での、国際シンポジウムということである。

無文字時代の文化を考える考古学と、文字社会における近代文学(それも、外地における日本語文学)を考える研究テーマは、実は、人間の文化を考えるうえで、ことばとは、文字とは、ということを考える視点からは、共通するものである。日程の都合で重なってしまったのは残念であるが、総合的に、GCOEの日本文化研究のグループの中にあるのであるから、全体的な視点から相互に交流することが必要であろうと思った。まずは、全体的な感想から。

まず、「デジタル・ヒューマニティーズの可能性-日本近代文学・文化研究の立場から-」の方について書いておこう。特に、デジタル・ヒューマニティーズの視点から。

この研究それ自体は、近代日本において、「外地」というべき地域、例えば、朝鮮・台湾など、における「日本語文学」を研究するという方向のものである。この基本については、GCOEのブログの方に、火曜セミナーの発表がある。

http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/GCOE/discussion/

2007年11月6日 「1940年代朝鮮の日本語小説研究-雑誌『国民文学』の分析を中心に-」(楠井清文)

★ただし、このブログは、GCOE関係者のみの書き込みが「原則」になっているので、コメントしても削除されてしまう可能性があります。その場合、この私のブログの方にコメントやトラックバックを送信してもらえれば、その旨、私が書き込んで連絡しておきます。

「日本語文学」研究については、いろいろ言いたいことはある。特に、先に書いた、国立国語研究所の「廃止/移管」問題も関連して、言語と国家と文学については、あれこれと考える。

だが、ここでは、デジタル・ヒューマニティーズの視点から、少しだけ。

第一に、コンピュータが多言語対応であるかどうかの問題。日本・韓国、さらには、その他に視野をひろげるならば、中国や台湾、これらの国や地域と、コンピュータとインターネットによる共同研究を、おこなおうとするならば、まず、課題となるのは、コンピュータの多言語対応の状況がどうなっているか、である。

こちら(日本/立命館)がわの視点から見れば、2007年度より、大学全体のコンピュータのシステムが一新されれて、ようやく(?)、XPになった。(それまで、2000)。問題は、この計画の時点で、大学の研究・教育におけるコンピュータは、多言語対応、もっと簡単にいえば、Unidodeに可能な限り対応している必要がある……このことを、誰が指摘し、声をあげたであろうか。

日本語文学研究であるのだから、日本のJIS規格漢字(0208)が見えればよい、ではすまない、と考える。韓国とも、あるいは、中国や台湾とも、データの共有と研究者のコミュニケーションのためには、どのような、コンピュータ環境が必要であるのか、きちんと考えておく必要がある。

第二に、著作権の問題。これは、青空文庫においても、いろいろ議論されているし、また、漢字文研情報処理研究会においても、校訂権や版面権について論じている。特に、日本と韓国との関係は、国際的に著作権を考えるとなると、かなり微妙な問題がある、と考える。このあたり、専門家の助言を得られないものであろうか。

この2点が、デジタルの視点から問題になること。もちろん、この2点についても、ほりさげていけば、いろんな問題があるのだが、とりあえず、指摘だけにとどめておくことにする。

當山日出夫(とうやまひでお)

国立国語研究所のこと(2)2008-02-18

2008/02/18 當山日出夫

国立国語研究所の移管にかんする問題については、松本さん(ひつじ書房)が、詳しい資料を整理してくれいている。まず、このことを記して感謝の意を表したい。

茗荷バレーで働く社長の日記

http://d.hatena.ne.jp/myougadani/20080215

国語研の移管の問題で、ある意味で「形式的」なことにすぎないともいえるが、軽々と見過ごすことができないのが、「図書館」のこと。

かつて、国語研に「図書館」は無かった。内部に研究図書を収集整理するセクションはあっても、「図書館」として公開されたものではなかった。つまり、非公開であったのである。(その時代、個人的に、中に知り合いの先生が、いて、その中を見せてもらったことがあるが。)

だが、それが、時代の流れととともに、一般への学術情報の公開ということで、「図書館」になった。もし、移管に際して、「図書館」でなくなるとしても、国語研の業務のための、図書資料の収集整理は、継続するであろうから、この点については、たぶん、大丈夫だろう(……と、思っている。)

問題は、「図書館」とは何か、ということである。以前のARGで、いろんな図書館のかかげてている理念について、言及されていることがあったが、まずは、日本図書館協会の『図書館の自由に関する宣言』(1979)であろう。


日本図書館協会

http://www.jla.or.jp/ziyuu.htm

図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。

第1 図書館は資料収集の自由を有する

第2 図書館は資料提供の自由を有する

第3 図書館は利用者の秘密を守る

第4 図書館はすべての検閲に反対する

図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。


「図書館」がかりに「資料室」なるというのは、形式上のことではなく、上述の図書館としての理念にかかわる問題でもある。このことの認識が、はたして、国語研の移管を立案した人間の発想のなかにあったであろうか。

そして、さらにいえば、「国語学」であるか「日本語学」であるか、「国立国語研究所」という名称は妥当であるか……いろんな意見があるであろう。だが、そのような議論をする基盤として、日本語学・国語学にかかわる専門図書館こそ必要である。少なくとも、不必要である、廃止すべきである、ということはないであろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

ARG3102008-02-18

2008/02/18 當山日出夫

ARGの310について、いささか。

こういうことに驚くべきではないのかもしれないが、

森林総合研究所、森林土壌博物館を公開

http://d.hatena.ne.jp/arg/20080217/1203244810

を見て、そのHPを見る。はっきり言って、土壌学はさっぱり分からない。とはいえ、いろいろ見てみて、そのリンク集のなかに、Wikipediaの「土壌」の項目が掲載になっている。

http://www.ffpri.affrc.go.jp/labs/soiltype/link/link_index.html

森林総合研究所は、HPを見ると、独立行政法人。ここが、Wikipedia にどうかわかるべきかは微妙かな、と思う。少なくとも、宮内庁が、陵墓研究に介入するよりは、問題がない(この場合、記述内容にまでおよんでいた)。

その記述内容が、評価に値するかどうか、ということと、リンク集にふくめるべきかどうかは別の問題ではある。この場合は、Wikipediaの記述内容が、信頼するに足る、ということなのかもしれない。

また、千葉大学附属図書館亥鼻分館古医書コレクション画像データベース

http://www3.ll.chiba-u.ac.jp/~koisho/

では、『重訂解体新書』の画像データが紹介されている。『重訂解体新書』については、すでに、『重訂解体新書 銅版全図』が、東京大学医学図書館によって公開されている。このことについては、以前のARGで言及がある。

2006-11-29 [新着・新発見リソース][東京大学医学図書館]東京大学医学図書館、医学図書館デジタル史料室を公開

http://d.hatena.ne.jp/arg/20061129

http://www.lib.m.u-tokyo.ac.jp/digital/

『解体新書』という著名な書物でありながらも、ただ、画像データが公開されるだけでは、その「書誌」についてよくわからない。このあたり、デジタル・アーカイブの問題点のひとつであろうとは、思っている。

デジタル・アーカイブに際して、その対象となった書物が、書誌的にどのような位置づけにある本であるのか、「解題」が欲しいという気がする。書誌的に信頼できてこそ、その画像のデジタル・アーカイブの価値も増す。

當山日出夫(とうやまひでお)