『思想地図』:研究者は自分の年齢を言うべきか2008-05-01

2008/05/01 當山日出夫

日本語学(国語学)などという分野にいると、他の研究分野と決定的に違うと感じることがある。それは、研究者が、自分の年齢を、おおやけにする、という暗黙のルールがある、ということである。

たとえば、『日本語の歴史』というタイトルの本は、今、2種類ある。亀井孝らによる、平凡社版(現在、平凡社ライブラー)。それと、岩波新書の、山口仲美『日本語の歴史』である。個人的には、山口仲美先生も、また、山口佳紀先生も、存知上げているのだが、それはさておき、岩波新書版の『日本語の歴史』の奥付にある、著者の紹介欄には、生年が記してある。

通常、女性が著者である場合、その生年は、記さない。だが、「ことば」の研究者は、自分が、いつ生まれたか、つまり、何時の時代の日本語を習得して育ったか、これは、研究者として必須の情報である。ゆえに、女性であっても、基本的に、その年齢(生年)は、公開しなければならない。

と、このように書いたのは、今日、京都からの帰りに買ってきた本。

『思想地図 Vol.1』(NHKブックス).東浩紀・北田暁大.日本放送出版協会.2008

これは、その是非や賛否はともかく、「世代」を強く意識して編集してある。この本については、もろさんがブログで言及している。最近のものは、

http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20080427/p1

思想の世代・・・というものは、どう考えるべきか、このあたりから、私などは考えてしまう。

なお、同時に買ったのは、

『情況への発言 全集成』1・2.吉本隆明.洋泉社.2008

それから、今朝の新聞の「さんやつ」に載っていたのが、内田義彦と谷川俊太郎の対談集(藤原書店)、見て、すぐに、オンラインで注文してしまう。

いまどき、吉本隆明・内田義彦などを読もうとうのは、やはり、ある時代を生きた世代にとってのことかもしれない。

當山日出夫(とうやまひでお)

マンガを読む順番2008-05-01

2008/05/01 當山日出夫

パラレルテキストについて、少し自分の考えを記してみたい。

パラレルなマンガ

http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20080501/p1

言語は、基本的に、直線的(シーケンシャル)なものである。文字化した場合、パラレルテキスト、というものは、多様なありかたで存在するであろう。

漢籍であれば、本文があって、さらに、それに「注」「疏」が膨大に付加されている場合がある。この場合は、階層構造をもっているわけだが、読者の頭のなかでは、ある種のパラレルテキストを構成している、と言えるかもしれない。

あるいは、日本文学での和歌の本歌取りの技法。実際に表現された言語としては、シーケンシャルなひとつのものしかない。しかし、その歌を享受する側は、複数の歌を、レイヤーとして意識のなかで重ねている……このように見ることもできよう。

それから、いまだによく分からないのが、マンガを読む順番。コマ割、ではない。絵の方を先に見るか、文字(せりふ)の方を、先に見るか、である。少女マンガにおける、高度なテクニックとしての、パラレルテキストではなく、もっと低次元の問題として、である。

読者の自由と言ってしまえばそれまでだが、これについては、実証的な研究はあるのだろうか。つまり、読者の視線を記録する、認知科学の実験である。(ただ、私が、知らないだけなのであろうが。)

當山日出夫(とうやまひでお)