『アウト・オブ・コントロール』(1)2008-05-11

2008/05/11 當山日出夫

『アウト・オブ・コントロール』(大谷卓史、岩波書店)を買ってよみつつある。Winnyをとりあげて、インターネットにおける、情報共有のありかた、匿名性などのついて論じた本である。この本について、感想を記す前に、基本的な私の考え方をのべておきたい。

Winnyの作者について、私は、否定的な印象をいだかざるをえない。

理由は、きわめて、単純。東京大学の教員という立場・身分、つまり、既存の著作権・知的財産権で、その地位を保証された組織のひとりとして、このソフトを作ったことは、法理がどうであれ、感情的に納得できない。

もし、彼が、フリーのプログラマで、ソフトひとつ作っていくら、という生活をしており、そして、同時に、その自分自身の生活の糧であるプログラムを、自由に流通して使えるようにする……というのであるならば、わかる。自分の生計の基盤を自ら破壊する、これも、また一人の人間の生き方としての選択であろう。

世の中には、著作権によって、生活している人が少なからず存在する。専門の学術書の出版社など、ほとんどが、社員数名の零細企業といってよい。本が一冊売れていくら、である。

インターネットでの知財については、議論が極端になりがちである。一方で、ウォルト・ディズニーやマイクロソフト、その一方で、オープンソースや、フリーのソフトウェア。

だが、その中間にいる人たちがいる。本が一冊売れていくらで生活している人たち。印税によって生活しているフリーの著者や、印刷業者、出版社、書店、などである。そして、知財について論じたり、学術書などを書く人(研究者など)は、多くの場合、この中にふくまれない。

大学の教員にこう言ったら、どう反応するだろう……今日から、あなたの給料はありません。聴講した学生が、いい授業だと思ったら、なにがしかの「投げ銭」をくれます。それで、生活してください。また、あなたの授業は、インターネットで無料で、どこでも、だれでも、自由に、見ることができます。

既存の著作権には、いろいろ問題がある。しかし、それに、破壊的に挑戦するとなるならば、これぐらいの覚悟のうえで、ものを言ってほしい。

俗言にいう……タダほど高いものはない、と。

當山日出夫(とうやまひでお)