JADS(6)2008-06-26

2008/06/26 當山日出夫

JADSで発表のあった、「写し絵」。これは、江戸時代からつづいてる、伝統的な、映像(動画像)芸術である。発表においては、すくなくとも、昭和2年まで、上演されていたと記録があるよし。

「写し絵」それ自体については、そのサイトを、みてもらう方がよいであろう。

みんわ座

http://www.t3.rim.or.jp/~minwaza/

シンポジウムでの発表においては、つぎのような指摘があった。「写し絵」は、江戸時代からつづいてきた、「芸能」(あるいは「娯楽」)である。それが、昭和のごく初期までは、実際に上演されていた。一般には、「写し絵」の衰退は、他の娯楽、その典型が「映画」の普及によるものであると、かんがえられている。しかし、大正末~昭和初期にかけて、全国に、いったいどれほどの映画館があったであろうか。都市部にはかなりあった。しかし、農村地域はどうか。

映画の上映施設がない村落においては、「写し絵」は、ごく日常的な「芸能」「娯楽」であった。それが、衰退して滅亡していくのは、その上演技能をもったひとびとが、いなくなってしまったから。歴史上、この時期は、日本が経済的に非常なダメージをこうむった時期でもある。農村は疲弊する。「芸能」のにないてがいなくなれば、その「芸能」は、ほろびざるをえない。

この説の妥当性はともかく、「芸能」の伝承には、まず「ひと」が必要である、ということの認識は、ただしい。「ひと」から「ひと」へと伝承される、また、そうであるがゆえに、あたらしい「ひと」が、あたらしい時代のながれをうけて、あらたな「芸能」の世界をきりひらいていく。

「芸能」の伝承とは、「ひと」から「ひと」へとうけつがれていくものである、ある意味で、流動的な要素をふくんでいる。これをいいかえれば、時代にあわせて変容していくダイナミズムが、そこにはある。

これを、「アーカイブ」として、固定化してしまうことは、「芸能」の伝承行為がもっている、エネルギーを枯渇させてしまうことに、つながりかねない。

そして、重要なことは、「芸能」の伝承には、「ひと」と「道具」の、二つが必要であるということ。では、いま、「写し絵」の「道具」は、いったいどのような状態にあるのであろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

追記:この文章も、野村雅昭さんの方式でかいてみた。かけばかけるのである。しかし、「疲弊」の語は、なにかほかに、適当ないいかえのことばないものかと、おもってしまう。「村」の漢字をさけようとして、「ムラ」にすると、微妙にイメージが変わる。で、いっそのこと「村落」という漢語にしてしまう。漢字をへらそうとして、かえって、漢語をふやす結果になる。なかなかむずかしい。