デジタルカメラが壊れたが2008-09-26

2008/09/26 當山日出夫

常にカバンに入れて携帯していた、デジタルカメラが、壊れてしまった。スイッチをオフにしても、レンズがきちんと収納されず、ふたがしまらない。一眼レフではなく、コンパクト・デジカメ。

2年前のものであるので、保証期限は切れている。

なおして使うか……昨今の、デジタルカメラ事情を考えると、どうしようかと思う。

景観文字を写すことが多いので、接写ができて、手ぶれ防止機能があって、できれば単三電池で動いて、というのがいい。いまでは、GPS機能内蔵の機種もある(ニコン)。

EOS5DMarkII か D700 か α900 か で迷う前に、さしあたってどうしようかというところである。

當山日出夫(とうやまひでお)

新常用漢字:情報化時代への対応とは2008-09-27

2008/09/27 當山日出夫

でたばかりの本であるが、読んでみた。

『ブログ論壇の誕生』(文春新書).佐々木俊尚.文藝春秋.2008

この本の内容とはちょっとはずれるが、(新)常用漢字表が、新しい情報機器への対応ということを配慮して決めるということ、であるならば、次のことも考慮しておかなければならない。

改訂案の新聞報道、あるいは、これから実施されるであろう、パブリック・コメントについては、インターネットの情報空間のなかで、議論される。そして、それは、既存の紙の媒体(新聞・雑誌や書籍)よりも、インパクトが大きい。関係者(委員会のメンバー)は、このことを理解していたか。

コンピュータで使う文字にかんすることは、コンピュータ(インターネット)においてこそ、議論の対象になる。今は、こういう時代である。かつての、PC-9801の時代ではないのである。

なお、今年7月に開催となった、「WS:文字」は、今年のうちに書籍化の方向で動いている。これは、確かに本として世に出る。しかし、その議論の基本になっていることがらは、すでに、インターネット上の各ブログで、考えられてきたこと。

それを本にするということは、書物という安定した形で、世の中に提供して、このような議論があったということを、後世に残す、このことにあると思う。この意味では、書籍化は、非常に重要である。

もし、今後、ネットでの文字使用調査を継続するならば、ひょっとすると、新常用漢字案に漏れた文字についての、言及・使用例が増える可能性がある。「なぜ、この字がはいらないのか」というようなメッセージ。これを、単に、単漢字レベルので頻度調査とするならば、このことは、見てとれない。これに対応するには、文脈つきのコーパス作成しかない。このスパイラルのなかに、「文字についての議論」が入り込んでいること、これが、将来においての(次の次の改訂まで視野にいれれば)大きな課題になるだろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

こじき2008-09-28

2008/09/28 當山日出夫

「こじき」といっても『古事記』のはなしではない。「乞食」(こつじき)の方である。

『ブログ論壇の誕生』(佐々木俊尚)と、一緒に、文春新書で出たのが、潮見鮮一郎の『貧民の帝都』。まだ、よみはじめたばかりだが(他に、書かないといけないものが山のようにある)、「乞食」とはいったい何であったのか。

私の概念では、「乞食」は、ある種の「職業」であり得た。潮見鮮一郎の考え方にしたがえば、そのような人々を、うけいれる社会があった。現代社会でいう、ホームレスの人たちとは、やはり、少し、対社会のかかわりにおいて、違うと感じるところがある。

今の学生に、「乞食」というのを見たことがありますか、「傷痍軍人」というのを知っていますか、ときけば、答えは、「ノー」である。私の個人的体験でいえば、子どもの頃、神社のお祭りにでもいけば、必ず、「傷痍軍人」がいたものである。たいてい、アコーデオンで演奏していた曲は、「戦友」であったと記憶する。

ところで、今は、かなり高く評価されている四国遍路。これも、高群逸枝の『娘巡礼記』(私が昔よんだのは、朝日新書版)を読むと、巡礼の人々は、「こつじき」である。映画『砂の器』を、思い出す。

ありふれた身近なものごとのなかで、突然、人々の意識に共有されていながら、姿を消すものがある。「乞食」もそのひとつかもしれない。だからといって、現代社会における、最貧困層の人々の問題がどうなるというわけではないであろうが。

それにしても、「天璋院様」が生きていた時代、江戸幕府の瓦解後、江戸・東京は貧民にあふれていた、というのは、おどろきである。

『貧民の帝都』(文春新書).潮見鮮一郎.文藝春秋.2008

當山日出夫(とうやまひでお)

やっとレジュメ完成2008-09-28

2008/09/28 當山日出夫

どうにか頑張って、10月12日の訓点語学会(於東京大学山上会館)の発表のレジュメを書き上げた。A4の紙で、ちょうど6枚。ウラオモテにコピーすれば、3枚でおさまる。

あと、2~3日おいて、見直しして、いさぎよくあきらめることにして、今週末か、来週の初めに、東大に送る。10日(金)までに、必着。でも、どうせ他の発表者も、そんなには早く送るはずはないだろうから、来週になってから、月曜の発送にしようか。

東大で開催になる以前は、「当日の早朝に会場に持参して下さい」だったのだが、事前送付で、荷物が軽くてすむ。ホンネをいえば、会場には、すでにパソコンが用意してありますから、プレゼン用のデータの入ったUSBメモリをご持参下さい、になると、もっと助かる。

でも、今回は、レッツノートは持っていかないといけない。

口頭発表のレジュメは、論文ではないのであるが……このごろ、ワープロでみんな書くので、ほとんど論文のような分厚いのが、封筒に、どっさりと入っている。私の経験の範囲では、さすがに、パワポのプレゼン資料プリントだけ、というのは、この学会ではない。

口頭発表のレジュメというのは、どの程度のものを準備するのが適当なのか、自分でもまだ迷っている。そういいながら、次週から、「アカデミック・プレゼンテーション」をテーマにした授業を始めないといけない。さあ、どうしよう、というところ。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』342号2008-09-29

2008/09/29 當山日出夫

『ARG』の342号について少し。

http://d.hatena.ne.jp/arg/20080929/1222618102

今回の号は、とても内容豊富で、読むだけでも、かなり時間がかかる。そのうち、特に、私の興味関心があるのが、

10月4日の、「デジタル情報技術が拓くアーカイブズの可能性」(学習院大学)

できれば、行きたいのだが(私も、一応は、アーカイブズ学会の会員なので)、その後の予定を考えると、なかなか時間がとれない。

おそらく、今の、人文学研究とコンピュータの領域、あるいは、図書館情報学の方面から考えても、一番のキーワードになるのが「デジタルアーカイブ」であろうと、思っている。

全員が同じ定義でなければならない、とは思わないが、しかし、相互に、どのような意味合いでこの語「デジタルアーカイブ」を使っているのか、相互理解は、絶対に必要である。並行したままでは、未来への展望がない。

なお、デジタルアーカイブについては、私も、来週、立命館GCOE火曜セミナーで話しをすることになっている。その話しの材料に、今回の、『ARG』は、役にたちそうである。利用させていただくつもり。(もちろん、典拠は明示します。これが、ARGの宣伝になるといいかも。)

當山日出夫(とうやまひでお)