パワーポイントでの学会発表の是非2008-10-13

2008/10/13 當山日出夫

「たけひこ」日記で、さらにパワーポイントの使用に言及していただいたので、さらにつつけて。

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20081012/1223761513

昨日、東京大学で、訓点語学会。発表者7名のうち、パワーポイントを使ったのは、最後の発表の私だけ。この学会、発表は年齢順なので、つまり、最年長者の私だけ。他の、若いひとたち(主に、大学院生)は、まったく使用せず。

これって、どうかしてんじゃないの……と思いたくなる。普通なら、若い人たちの方が、情報機器(パソコン)など、使いこなせている、と思うのだが、この場合は、そうではない。

口頭発表の学会でありながら、発表者は、ただ、用意してきた、レジュメを、読み上げるだけ。会場の人は、ただそれを、耳で聞きながら、ひたすら、レジュメを見るだけ。

こういうスタイルの学会も「あり」なのかもしれない。

文献学研究では、資料を重んずる。そして、その資料について、「ことば」で説明できなければならない。この意味では、画像データなどに依拠せず、論文を書くことがもとめられる。

一方、文献学研究は、そのテキストの画像をみたら、それで、すぐに分かる、という性格も持っている。見れば、わかるものを、なんで、こまかく一々、説明しなければならないのか。

歴史的なながれとしては、以前は、論文に、写真・図版などを入れるのは、非常にコストが高くついた。しかし、現在では、さほどではない。ましてや、自分でワープロで作成した原稿のプリントアウト(のコピーなど)を、レジュメとして、配布する時代。いくらでも、画像を、とりあつかえる。

私の考え方としては、

まず、フルペーパーが、書けること。

次に、その内容を、パワーポイントなどで、巧みにプレゼンテーションできること。

さらに、そのプレゼンテーション用に、A4で数枚ぐらいの、レジュメが作れること。

これらは、相互に関係するものであろると思う。すくなくとも、これからは、このような方向を目指すべきだろう。

以前にも言及したことがある本、『理系のための口頭発表術』(講談社ブルーバックス)の、「訳者まえがき」には、次のようにある。

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科学的な研究成果を発表する技術というのは、いわゆる弁論術やディベート技術とは違うし、プレゼンテーションの視角効果の単なるノウハウとも異なる。その本質は、混沌とした思考を、いかにして整理し、知的興奮をかき立てる〈物語〉への変貌させるか、という、論理的思考の鍛錬なのである。(p.9)

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「論理的思考への鍛錬」という方向が、今後の、目標であろうと思う。

『ARG』の次の号(344)が出てしまった。感想は、この次にでも。

當山日出夫(とうやまひでお)

追記 『ARG』343 → 344 に訂正。

『ARG』344号2008-10-13

2008/10/13 當山日出夫

ちょっと気になったので、「ARG」の発行部数を比べてみた。

343号 3738部

344号 4749部

う~ん、10部ほど増加している。この間、先週の火曜日、GCOEセミナーで、『現代日本の人文情報学とデジタルアーカイブについて』というタイトルで話しをした。その時、参考文献・HPのひとつとして、とりあげたのが、『ARG』。これを見れば、今、人文情報学の分野で、どんなことがおこっているのか、総合的に、すぐ分かる……と、紹介した。

できれば、その影響で、部数が増えたなら、わずかながら、うれしい。

それから、行きたかったが、行けなかった、学習院大学での、「デジタル情報技術が拓くアーカイブズの可能性」、この研究会の様子が、報告されている。

http://d.hatena.ne.jp/arg/20081006/1223225217

この学習院での研究会は、GCOEの火曜セミナーでも、言及した。そして、最後に、このようにしめくくった。

アーキビスト、人文学、情報工学、さまざまな立場・意見があるだろう。そのなかで、人文情報学にかかわるものとしては、アーカイブズから学ぶべきものがあるにちがいない。それを、端的につきつめて言えば、「未来への責任という倫理観」である。

理想を共有できれば、後の技術的な問題は、どうにかなるだろう……と、今は、ある意味で、楽観的に考えることにしている。

當山日出夫(とうやまひでお)