CH80(3)2008-10-23

2008/10/23 當山日出夫

いろんなモーションキャプチャを、いろんな研究会で見てきて、常に思ってきたことがある。それは、モーションキャプチャによって、得られたデータから作った、CG映像は、「記録」なのであろうか、あるいは、「研究の成果の一つの形」なのであろうか、あるいは、さらに、「作品」なのであろうか、ということ。

人間の身体動作を、それだけをとりだし計測する。光学式であれば、専用の衣装を着なければならない。能楽であっても、日本舞踊であっても、通常の舞台で、通常の衣装を身にまとって、ということはできない。

磁気式であれば、体にセンサをつけなければならない。これも、全体としては、かなりの重量になる。また、ケーブルも必要。

複数のカメラ画像を使ってという方式もある。この場合、衣装はそのまま記録できるが、身体動作の骨格の部分は無理。また、場所も、特設のスタジオが必要。

このように考えると、民俗芸能だけではなく、通常の人間の生活環境の中での身体動作の計測・記録ということになると、かなり、難しいことが、見えてくる。たとえば、通常の、民俗芸能であれば、それを演じている場所と一緒に記録する必要性を、私としては、強く感じる。例えば、神社の境内であったり、街の中の路上であったり。田畑の中であったり。やや測定精度は、落ちるかもしれないが、その場面の全体を、音声・画像ともに、記録が可能である……この意味において、私は、昨日のメッセージに書いたように、

『舞踊教育における簡易式モーションキャプチャの有用性』.佐藤克美・安住洋子・海賀孝明・渡部信一

の発表に、非常な魅力と可能性を感じた。発表タイトルは、『舞踊教育における~~』となっているが、これに限定せずに、数多くある民俗芸能・通常の人間の生活のなかでの動作にも、応用が可能だと思う。一般に価値があるとされる古典芸能ではなく、ごく普通の生活の中における身体動作こそ、ある意味で本当に記録しなければならないものかもしれない。

このあたりの考え方は、折口信夫・柳田国男の「日本民俗学」が、私がものを考える根底にあるせいだろうとは、思っている。

當山日出夫(とうやまひでお)