CH80(6)2008-10-29

2008/10/29 當山日出夫

芸術村のDAFの見学が終わってから、角館市内にむかう。帰りの列車、昼過ぎの「こまち」をとってあったので、他のみんなと、武家屋敷のあたりを歩く。

CHとは、話しがはなれるが感想を少し。

まず、やけに通りの幅がひろい。だいたい、「小京都」といわれるような地方都市は、通路がせまい。京都の街でも、メインの道をのぞくと、ほとんど一方通行になっている。

自動車もない江戸時代に、なぜ、こんな幅の広い道が必要だったのだろうか。たぶん、雪のせいだろう。このあたりは、豪雪地帯でもある。降った雪はつもるばかり。屋根から雪下ろしをしても、その処理の場所が無い。たぶん、その雪の処理のために、道路を幅広くつくったのでは、と思った。(まちがっているかも。)

いくつかの武家屋敷は、「公開」しているのだが、一方で、現役で、そこに人が住んでいる家もある。いまどきの、家族構成、生活スタイルで、あんな、広大な屋敷に、どうやって住むんだろう、と気になる。ま、少なくとも、自動車を買って、車庫証明を取るのに不自由しないことはたしか。どんな屋敷でも、かるく数台の自動車がおける、余地がある。

武家屋敷といっても、かなり家格の高い身分の人たちの家だったのだろう。たいていの部屋には、畳がしいてある。

このあたり、飛騨高山の、民俗村とはおおきく違う。ここに行って、畳がしいてあったのは、ごく一部の家だけ、それも、家の中の一部。たいていの家は、板の間だった。前面に畳というのは、高山の街では、昔の郡代の「高山陣屋」だけだったかな。

それから、興味深かったのは、新潮社記念文学館。たいていの文学館は、作家を記念して建てる。だが、ここは、新潮社という会社の創立者、佐藤義亮(さとうぎりょう)は、角館の出身。これはこれで、なかなか面白かった。

文学を、作家ではなく、出版社という視点から見るというのは、興味深い。

當山日出夫(とうやまひでお)

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