デジタルネイティヴな人文学は生まれるだろうか2008-11-09

2008/11/09 當山日出夫

昨日は、漢字文献情報処理研究会の著作権の研究会だった。しかし、出かけるのひかえることにした。このところ、やや疲れ気味、かつ、風邪ぎみな状態なので、もし、ここでくたばったりしたら、後に、ドミノ倒し的に、影響がひろがる。ちょっと、休憩、ということにした。(関係者のみなさま、出席の連絡をしておきながら、急遽やすんでしまって、もうしあけありません。)

ところで、「はてな」のアカウントを持っている人には、MMでとどいているはず。

NHKスペシャル『デジタルネイティヴ』

http://www.nhk.or.jp/digitalnative/

デジタルをめぐっては、そのコンテンツについて、「BornDigital」(デジタル環境において発生した、モノとして実態が無い)の語が使用され始めている。また、一方で、デジタルデバイド、ということも言われている。

個人的につくづく感じることではあるが、今の若い世代(学生)は、デジタル環境の中で育ってきている。その悪い方向が、ウィキペディアを見て終わり、かもしれない。が、それはそれとして、認めざるをえない現実である。

問題は、いざ、大学生になった時、そのデジタル・リテラシを生かす方向で、今の大学教育が、構成されているか。まずは、学部教育のレベル。次に、そのうえにある大学院教育のレベル。

ここで変わらなければならないのは、大学教育の制度や、基本的な設備(デジタル対応、学内無線LANの整備とか)、そして、教員の意識の変革であろう。

まあ、さすがに、今の時代になって、「コンピュータに文学がわかるはずはないのであって……」などと、のたまうような人は減った(絶滅したと言い切る自信は無い)だろうが、少なくとも、デジタル化推進に積極的ではない、という人はまだまだ多いと感じる。

デジタルネイティヴで育った若い人たちが、デジタルネイティヴな人文学研究を構築していく、これは、時のながれの自然としてそうなっていくのか、あるいは、ほうっておいてはどうにもならないので、何か、起爆剤のようなことが必要なのか、必要であるとすれば、それはどのようなものなのか……出不精をしながら、考えた次第である。

當山日出夫(とうやまひでお)

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