読むこと、索引をつくること、デジタル化すること ― 2008-11-15
2008/11/15 當山日出夫
勉誠出版メールマガジンから引用する。吉田金彦さんは、山田孝雄(どの敬称をつけるべきか迷ってしまう、やはり先生とすべきだろうか)、から、次のように聞いたと記している。
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「君、万葉集をよく読みなさい。万葉の語をしらべると万葉以前が分るよ。私は正宗の索引などなかったから、奈良期文法史は、一つ一つ歌をよみ返して書いたものだよ。索引がなかったから何べんも万葉集を読み返すことが出来た」と手の内をあかされていた。
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さて、今の時代、『万葉集』を学ぶ学生は、どうであろうか。文中、「正宗の索引」とあるのは、正宗敦夫の手になる万葉集索引。ただし、その本文(テキスト)が、江戸の版本というもの。もちろん、現代の、新しい万葉集には合致しない。(私の学生のころであれば、活字本として、塙書房版を使うのが通例であった。)
今、『万葉集』『源氏物語』『今昔物語集』、すべてデジタル化されている。『源氏物語』のデジタル化だけでも、いくつものバージョンがある。
現在において、デジタル化テキストから、どのような、新しい学知が生み出されるのだろうか。ふたたび、勉誠社メールマガジンの吉田金彦さんの文章にかえると、橋本進吉のいわゆる「上代特殊仮名遣い」について言及してある。
もし、橋本進吉が、『万葉集』について研究していたとき、すでにコンピュータがあったとしても、それが、即座に、「上代特殊仮名遣い」に結びつくことは無いであろう。やはり、ほとんど暗記するほどに、テキストを読み込まなければ、不可能であったと思う。ただ、デジタル化テキストは、その検証を、手早く確実にするのには、役立つ。
デジタルによる、新たな人文学知の展望を考えるとき、温故知新、むかしは、どんなふうに本を読んで研究していたのか、考えてみたい。
當山日出夫(とうやまひでお)
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