『ARG』351号の感想2008-12-01

2008/12/01 當山日出夫

例のごとく、インターネットのつながらない環境にいる。我が家で、UUBメモリに保存してきた、『ARG』を、レッツノートで読む。家に帰ってから、手をいれて送信。

ARGの351号

http://d.hatena.ne.jp/arg/20081201/1228060651

今回は、巻頭の佐藤翔さんの文章がメイン。ARGカフェには、行きたかったが、なかなか都合がつかなくて断念。だが、その様子は。今回の号や、佐藤さんの文章やブログで、わかる。

大事なことは、みんなが、研究会・学会などについて、コメントを書くこと、である、これはまったくそのとおり。だが、各自の専門分野では、難しいかもしれない。このように書いている私でも、自分の専門分野の学会(日本語学会・訓点語学会)のレポートを書くにはいたっていない。

会場で、質疑応答のときに発言する、あるいは、後の懇親会で、ざっくばらんに発表についてコメントしたり、というのとはちょっと違う。正直に言って、ハードルが高い。

しかし、ARGカフェや、人文情報学関係の、研究会などでは、かなり気楽にコメントが書ける。それは、「ARG」や「デジタル」をキーワードとして、「専門」の異なる人が集まる場であるから、であろう。この領域は、「ホーム」でもあり、また、「アウェー」でもある、ちょうど汽水域のようなところ。

だからこそ、積極的に、出て行って交流しようと思う。また、出ていかなければ、情報は得られない。先日、岡本さんの文章を引用したように、「情報を発信するとことに情報はあつまる」のであるから。

これを、さらに、自分なりに解釈すれば、情報発信しようという意志を持ってのぞむからこそ、いろんな情報にアクセスすることになる。たとえば、自分の言いたいことに関連した、HPやブログを探してみるなど、である。これは、ちょっとした、気持ちの持ちようである。学生が、授業のレポートを書くために、インターネットで情報収集するのとは、大きく異なるだろう。

今月は、いろいろと、人文情報学(デジタル・ヒューマニティーズ関係)の学会や研究会がある。そこで、みずからの専門をたもちながらも、他の人々との交流の場を、きづければと思う。特に、若い人たちが、気楽に参加して、気楽に、自ら話し、また、人の話しを聞く、このような場であって欲しい。

當山日出夫(とうやまひでお)