源氏物語千年紀とはなんだったのか2008-12-27

2008/12/27 當山日出夫

もうそろそろ今年もおわり。個人的感想を言えば、「つかれはてた」のひとことにつきる。

で、タイトルの「源氏物語千年紀」。

一般的には、『源氏物語』が、今から千年前に成立した。今年が、出来てから一千年目にあたる記念の年、ということ。しかしながら、これは、学問的は、かなりのウソ。文献資料において、『源氏物語』の存在が確認できるのが、西暦で1008年に該当するというだけのこと。さらにいえば、この『源氏物語』も、現在、我々が見る『源氏物語』と同じであるということはいえない。これは、テキスト(現在、主に、定家本系テキストによる)の問題もあるが、それ以上に、物語としての編集・構成の問題もある。

さて、今年(1008)は、将来になってふりかえると、どのような年になるだろうか。ほとんど、毎月のごとく、どこかで、『源氏物語』の研究会や展覧会が開催であった。そのおかげで、近世の『源氏物語』の注釈の版本の版木のことまで、新聞に載るようになってしまった。

日本の古典文学研究が、それなりに存在意義があり、社会的に認知された年、ということになるであろうか。簡単にいえば、大学の国文科・日本文学科に人気がたかまったか、である。

あるいは、『源氏物語』を研究するには、もはや、旧来の国文学・日本文学の枠組みでは無理である。東アジアでの、日本~中国の文化交流、さらには、「ものがたり」とは何か、それを書物にするとは、という本質的な問題、これらを考えねばならない、という方向に向かうことになったのか。いわゆる学際的な研究方向である。これを、逆にいえば、もう、国文科・日本文学科は不要である、ということになる。

旧来の、訓詁注釈を中心とした日本古典研究の限界が見えた、ということは確かかもしれない(確かに、まだ、課題は残っているが)。だが、それに代わって、どのような新たな方向性があるか、これは、まだ、先が見えていない。

ところで、人文情報学との関連でいうと、次のことに触れておきたい。日本で人文学研究者がパソコンを使い始めたとき、まっさきにデータ入力の対象となったのは、『源氏物語』である。私が知る限りでも、これまでに、数種類のデジタル化『源氏物語』がある。

私だったら、「源氏物語はどう電子化されてきたか」というようなシンポジウムでも企画するところである。しかし、その力量も無いので、傍観するだけであったのだが。

デジタル・ヒューマニティーズ(人文情報学)の歴史を考えるとき、日本における『源氏物語』の電子化の歴史と、そこで、どのような人が何を考えてきたのか、そして、それは、『源氏物語』研究に何をもたらしたか/もたらさなかったのか、考えてみなければいけないテーマであると思っている。

當山日出夫(とうやまひでお)

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