やっと終わった2008-12-22

2008/12/22 當山日出夫

昨日で、じんもんこん2008(筑波大学)は、終了。こまかな感想などについては、追って書いていくことにする。

しかし、まだ、東京。今日は、別の用事が午前中にひとつ(あるいは、二つ)。今は、東京のホテル。このメッセージを送信したら、出かける。

シンポジウムとは、別のはなしになるが、今年(2008)の7月19日に、花園大学での「WS:文字」は、どうにか、書籍化の最終段階。でも、原稿の未提出の人がいるが、年内には必ず、ということになっている(大丈夫だろう。)

文字の論集であるので、フォント埋め込みPDFで、各自の原稿を作るということにしておいた。ただ、Acrobatは、意外と、PDFを作るのが難しい。PDF化すると、ある箇所の文字が、すっかりと抜けてしまうなど……わからないところが多い。仲がいいはずの、MS-WORDとの間でも、トラブルが起こる。それから、画像データの形式をどうするか、この部分について、方針を明確にしておかなかったのが、ミス。

ただ、今から引き返すということにもいかないので、何とか本にはしようと思う。これを教訓に、次号を考えている。そして、その前提となる、次のWSを開催(この件については、ほぼ、固まった。)

明日は、朝一番に出かけて、火曜日の最後の授業(カレンダーでは、休日であるが、いまどき、そんなものは関係ない。)。レジュメだけは、プリントアウトして、我が家の机の上においてきた。

當山日出夫(とうやまひでお)

やっと帰った2008-12-22

2008/12/22 當山日出夫

やっと我が家に帰還。晩ご飯は、家で食べられた。

筑波大学でのことなど、いろいろと書かねばならないが、それは、明日より先のこと。明日は、祝日であるが、授業日。まったく、生活のなかから「祝日」「休日」というのが無くなってしまった。

年末~年始は、なにもしないですごしたい、だが、「年賀状」なる関門がある。今日は、もう早く寝よう。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』354号の感想2008-12-23

2008/12/23 當山日出夫

筑波に行っている間に、『ARG』の354号が出ている。私の目にとまったのは、「日本脚本アーカイブズ」のサイトの紹介。

http://d.hatena.ne.jp/arg/20081221/1229845519

日本脚本アーカイブズ

http://www.nk-archives.com/

岡本さんも指摘しておいでであるが、この解説が読むに値する。特に次の箇所(香取俊介さん)。

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「デジタル化」が時代の流れでありますが、われわれとしてはデジタルアーカイブに偏るのではなく、「現物保存」と「デジタル保存」の2本柱が重要だと考えており、この点、東大大学院情報学環とも完全に意見が一致しています。

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そして、デジタル化することの意義・利活用についても、言及してある。この見識は見習うべきであろう。

他にもいろいろ書きたいが、追ってのことにしたい。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』354号:研究アーカイブズ2008-12-23

2008/12/23 當山日出夫

日本アーカイブズ学会共催行事として、次の行事がある。概略を転記する。

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■日本アーカイブズ学会共催行事 研究集会

研究記録のアーカイブズ―研究過程の検証と新たな情報資源化のために―

2009年2月21日(土) 13:30~17:00 国文学研究資料館

主催:日本アーカイブズ学会・国文学研究資料館アーカイブズ研究系研究プロジェクト

佐藤博樹(東京大学社会科学研究所教授) 「実証的社会科学研究とデータアーカイブの役割」

高岩義信(筑波技術大学教授) 「自然科学系分野の研究記録保存の課題(仮題)」

高橋 実(国文学研究資料館アーカイブズ研究系主幹) 「旧史料館レコーズの整理と公開について」

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この研究アーカイブズを実践したのが、『ARG』で紹介のある、

中東・イスラーム研究の先達たち 吉岡俊輔氏資料

http://www.l.u-tokyo.ac.jp/tokyo-chuto/yoshioka-sensei/htlm/newpage1.html

であろう。ここでは、吉岡俊輔氏の直筆原稿など、研究資料(ノート・記録類)が、デジタル化して残され、公開されている。今後の、機関リポジトリのあり方をふくめて、きわめて参考になる事例であると思う。

http://d.hatena.ne.jp/arg/20081221/1229845522

當山日出夫(とうやまひでお)

じんもんこん2008つくば(1)2008-12-24

2008/12/24 當山日出夫

2008年12月19・20日の、じんもんこん2008シンポジウム(情報処理学会・人文科学とコンピュータ研究会)のことを書いていこうとおもう。といっても、個別の個々の発表については、あまり触れないでおきたい。自分で、座長(司会)を担当したセッションもある。また、二つの会場にわかれていたので、全部の発表を聞いたわけでもない。

総合的な印象として、まずは、成功に終わったことを喜びたい。聞いたところによると、事前申し込みの参加者数では、これまでの最大であったよし。つくばという場所が、東京から近い。特に、会場の、春日キャンパス(旧・図書館情報大学)は、駅から近い、ということもあったであろう。また、開催日を、前回までの、「木・金」から、「土・日」に変えたことも大きいであろう。とにかく、休んだら絶対に補講という方向に、各大学が変わってきている現状では、木・金の二日を、シンポジウムのために出かけるというのは、かなり厳しくなってきていることは確かである。

また、発表のテーマが、実に多様であった。全体の発表数が多い上に、発表テーマがひろがると、聞く方としても、考える。自分の専門領域にかんする会場にいるか、あるいは、普段はなじみのない分野の方に出るか、である。

自分の専門にかかわる領域であれば、論集を見れば概要は分かる。あるいは、既に、その発表者を知っている、ということが多い。一方で、自分の専門とは異なる領域の発表を聞きたいという気もある。論集を読むよりも、実際の、口頭発表を聞いた方が、その分野での、ものの考え方がよくわかる。

だが、今回、いずれにしても、一つの発表が、25分というのは、時間的に厳しい。通常のCH研究会であれば、もうすこし余裕がある。時間厳守は当然としても、質疑で議論が盛んになれば、それはそれでよしとする面もないではない。会場が二箇所に分かれると、あまり、時間超過というわけにはいかない。このあたり、研究会としての運営方針で、いろいろ議論はあると思う。

充実した研究会であった。これから、時間をみつけて書きついでいきたい。

當山日出夫(とうやまひでお)

『猿蟹合戦とは何か』2008-12-26

2008/12/26 當山日出夫

偶然とはいえ、一日のうちに、ある種の落差のようなものを感じることがある。

まず、笠間書院のメールマガジン46号で「人文学及び社会科学の振興に関する委員会」というものがあることを知った。MMは、ここでの中野三敏さんのことに言及したもの。(これはこれとして私見がないではないが、それはおいておく。)

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/015/siryo/08080112.htm

「人文学及び社会科学の振興に関する委員会」における主な意見(案)-「人文学」関係-

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/015/siryo/08080112/002.htm

まあ、このようなことが文部科学省で論じられていることは、ある意味で興味深い。「輸入学問」という語まで、つかっている。それほど、現代日本の人文学研究は危機的状況にある。

その一方で、昨日、京都に行ってたまたま買った本。

『猿蟹合戦とは何か-清水義範パスティーシュ100 一の巻』(ちくま文庫).清水義範.筑摩書房.2008

私は、『蕎麦ときしめん』以来、清水義範のファンというほどではないが、かなり読んできている。感想として、『猿蟹合戦とは何か』、この本1冊の価値は、文部科学省の議論を、軽々と超えている。いや、『猿蟹合戦……』が、分からない人間に、文化だの、文学だの、人文学だのと、言ってほしくはない。

独断と偏見であろうが、私としては、かくのごとく思う。

當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語千年紀とはなんだったのか2008-12-27

2008/12/27 當山日出夫

もうそろそろ今年もおわり。個人的感想を言えば、「つかれはてた」のひとことにつきる。

で、タイトルの「源氏物語千年紀」。

一般的には、『源氏物語』が、今から千年前に成立した。今年が、出来てから一千年目にあたる記念の年、ということ。しかしながら、これは、学問的は、かなりのウソ。文献資料において、『源氏物語』の存在が確認できるのが、西暦で1008年に該当するというだけのこと。さらにいえば、この『源氏物語』も、現在、我々が見る『源氏物語』と同じであるということはいえない。これは、テキスト(現在、主に、定家本系テキストによる)の問題もあるが、それ以上に、物語としての編集・構成の問題もある。

さて、今年(1008)は、将来になってふりかえると、どのような年になるだろうか。ほとんど、毎月のごとく、どこかで、『源氏物語』の研究会や展覧会が開催であった。そのおかげで、近世の『源氏物語』の注釈の版本の版木のことまで、新聞に載るようになってしまった。

日本の古典文学研究が、それなりに存在意義があり、社会的に認知された年、ということになるであろうか。簡単にいえば、大学の国文科・日本文学科に人気がたかまったか、である。

あるいは、『源氏物語』を研究するには、もはや、旧来の国文学・日本文学の枠組みでは無理である。東アジアでの、日本~中国の文化交流、さらには、「ものがたり」とは何か、それを書物にするとは、という本質的な問題、これらを考えねばならない、という方向に向かうことになったのか。いわゆる学際的な研究方向である。これを、逆にいえば、もう、国文科・日本文学科は不要である、ということになる。

旧来の、訓詁注釈を中心とした日本古典研究の限界が見えた、ということは確かかもしれない(確かに、まだ、課題は残っているが)。だが、それに代わって、どのような新たな方向性があるか、これは、まだ、先が見えていない。

ところで、人文情報学との関連でいうと、次のことに触れておきたい。日本で人文学研究者がパソコンを使い始めたとき、まっさきにデータ入力の対象となったのは、『源氏物語』である。私が知る限りでも、これまでに、数種類のデジタル化『源氏物語』がある。

私だったら、「源氏物語はどう電子化されてきたか」というようなシンポジウムでも企画するところである。しかし、その力量も無いので、傍観するだけであったのだが。

デジタル・ヒューマニティーズ(人文情報学)の歴史を考えるとき、日本における『源氏物語』の電子化の歴史と、そこで、どのような人が何を考えてきたのか、そして、それは、『源氏物語』研究に何をもたらしたか/もたらさなかったのか、考えてみなければいけないテーマであると思っている。

當山日出夫(とうやまひでお)

人文学及び社会科学の振興に関する委員会2008-12-27

2008/12/27 當山日出夫

昨日、文部科学省の「人文学及び社会科学の振興に関する委員会」について言及した。情報源は、笠間書院のMM。

デジタル・ヒューマニティーズ(人文情報学)を考えるには、まず、現在の人文学の現状について確認の必要がある。

で、ふと気になって、このタイトルの語で、Google検索してみると、ほとんど、ネット内での言及がない。それほど、知られていない、ということであろうか。どうせ、文部科学省の委員会であるから、「無視」、ということもあるかもしれない。

しかしながら、ひととおり読んでみるに値する文章であるとは思う。再度、URLを記しておく。(長いので、ブラウザによっては、画面の右にはみ出すかもしれません。少なくとも、FireFoxでは大丈夫ですが。)

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/015/siryo/08080112/002.htm

「なにのやくにもたたない」ということを自負している(?)人文学研究に、社会的役割をもとめる(無理矢理にそうでも言わないと立つ瀬がない)、という妙な箇所もある。生命倫理から、『カラマーゾフの兄弟』につながったり。

直接は「なにのやくにもたたない」、けれども「必要」、ということはある。それは、専門の研究分野としてであるよりも、基礎教養として、ということになる。割り切った表現をとれば、「タコツボ」と「ササラ」になる。ここは、「無用の用」などと洒落てみるよりも、これからの未来をになっていく若いひとたちに、どのような人文学的基礎教養が必要なのか、考えねばならないときである。

具体例をいえば、過日のできごと。ある大学で、たまたま授業日が、12月8日であった。これは、日本語教師養成のための日本語史の授業。で、はじめに、「みんなは、今日が、何の日であるか知っていますね」と聞いてみて、反応はゼロ。

これは、どう考えればいいのだろうか。高校で日本史をしっかりと教えろ、という問題では済まない段階にさしかかっている。(ちなみに、その教室には、韓国からの留学生も何人かいたので、私は、説明に窮してしまった。歴史認識以前の問題だ、これは。)

當山日出夫(とうやまひでお)

蛇足のこたえ:12月8日。昭和16年(1941)の12月8日、日本は、アメリカとの戦争をはじめた。真珠湾攻撃の日。これは、日本時間。アメリカのワシントン時間では、時差の関係で、12月7日になる。それから、この日は、仏教にとっては、成道会(じょうどうえ)。仏陀(お釈迦様)が、悟りをお開きになった日。

じんもんこん2008つくば(2)2008-12-28

2008/12/28 當山日出夫

筑波大学での「じんもんこん2008」の感想の続き。

今回の発表で印象に残ったのは、内容よりも、25分という時間の問題。通常 のCH研究会(情報処理学会)では、もうすこし余裕がある。25分というの は、これはこれで、十分な時間であるので、必ずしも短いとはいえない。問題 は、その時間配分。

質疑応答、さらには、コンピュータとプロジェクタとの接続の時間をふくめて 25分ということであるならば、発表は15分、質疑応答5分、これぐらいの時 間でのぞまないと、無理である。できれば、二つの会場に分かれているので、 移動の時間が欲しい。

研究発表の場合、コンピュータの利用は二つの方式にわかれる。

一つは、あらかじめ、会場の設置のコンピュータに、発表者のパワーポイント のデータを移してしまっておく。これであれば、コンピュータの接続しなおし、 プロジェクタの認識にかかる時間が、短縮できる。また、最悪の事態、つまり、 どうしてもプロジェクタに持ってきたパソコンの画面が出ない、ということを 避けられる。だが、この場合、MACを持ってきた人がいると、おかしくなる。 だからといって、MACを使うなというわけにはいかない。

他の一つは、完全に、自分の責任で、プロジェクタにつないでくれ、という方 式。もし、つながらなくても、開催の側は責任を持たない。これでいくならば、 少なくとも、事前の休憩時間のうちにでも、発表の各自が、自分のパソコンと の接続テストをすることが必須である。

今回のシンポジウムでは、このどちらの方式にも徹底できなかったことが、一 番の問題かもしれないと思っている。

ちなみに、最近、XPパソコンに、USBメモリを新しく接続すると、「再起動 します」のメッセージが出る。この時、無視しても、「コンピュータ」が新し いドライブを認識していれば、大丈夫。このメッセージの段階で、とまどって いる人、あるいは、再起動になってしまって困ってしまった人がいた。

誰の責任というわけでもないのだが、研究発表の時間は、そこに集まった全員 が共有する時間である、ということを考えるとき、可能な限り、予想されるト ラブルは事前に用意して避ける、周到な準備が必要になってきている、と思う。

當山日出夫(とうやまひでお)

ペーパーレスの研究会2008-12-29

2008/12/29 當山日出夫

これまでの研究会・学会、というと、「簡単な要旨」「フルペーパーの論文」「パワーポイントのプリント」、いずれの形態にせよ、なにがしか、モノ(紙)、があるのが原則であった。

しかしながら、次年度より、情報処理学会は、完全にペーパーレスの方向に向かう。

情報処理学会:論文誌のオンライン出版(印刷物の廃止)について

http://www.ipsj.or.jp/03somu/kinen_jigyo/50anv/d-library/dl-ronbun-200710kaikoku.html

この件については、CH研究会のHPでも言及してある。

じんもんこん → 重要なお知らせ → 情報処理学会のオンライン化事業について(長くなるのでURLは省略)。

http://jinmoncom.jp/

さあ、どうしようというので、困惑しているのが、多くの人々の実感かもしれない。

ところで、安岡さんがコメントでおっしゃるように、全員ノートパソコン持ち込み、プロジェクタにつながる/つながらない、どうなってもいいから、どうにかしなさい、これもまた一案。

でも、システムによっては相性の悪いこともある。なぜか、私の使っている、レッツノート(A4サイズ)は、時々、おかしなことになる。映らない、映っても、画面がずれる、アスペクト比が違ってみえる・・・・・・

ペーパーレスというのは、本当に時代の流れなのだろうか。紙でも残すが、デジタルでも残し、かつ、両方の流通があり得る、これを考えるべきではないだろうか。問題は、ペーパーの真正性と、(ざっくばらんに言って)ビジネスの問題。研究会の参加費+資料代、ということで、お金をなにがしか払うのは、これまでの慣例から納得できる。その資料が、デジタル、となった場合、全員が律儀に料金を払うか、どうか。

先日、神田の精興社に行って、ある電子出版の会議。私は、こう言ってしまった、「データはタダである」。タダのデータをつかって、どのようなビジネスモデルを構築するか、これから、考えないといけない。いや、実際に、企画の文書を書かないといけない(年末年始はこれでつぶれそうである。)

當山日出夫(とうやまひでお)