CH81(1)2009-01-24

2009/01/24 當山日出夫

今日は、本当は、立命館でモーションキャプチャのシンポジウム。行きますと言ってしまったのだが、ちょっと疲れ気味なので、お休みさせてもらうことにした。明日は、また、他の仕事があるし、採点がどっさりあるし、今日は、お休みの日にした。

昨日は、CH81(情報処理学会、人文科学とコンピュータ研究会、於京都キャンパスプラザ)。その感想なり、すこしでも書いておく。

最初の発表は、

(1)京都盆地の庭園分析のGIS分析(李偉・尾方隆幸・山田奨治)

発表内容いついては、会場からの質疑応答のとき、かなり厳しいコメントがあった。先行研究を参照すべき、GIS利用の意義など。

ただ、私の個人的な感想としては、なぜ、「庭園」と「水」を結びつけて考える必要性があるのか、その根本のところが巧く説明できていなかったと思う。例えば、「枯山水」であるが、これは、水が無いから「代用」したのか、あるいは、意図的に「水」を使用しなかったのか、このあたりが、文化史的に説明できるところまでいくと、面白い。

それに、せっかく山田奨治さんが加わっているのだから、竜安寺の石庭については、もうすこし踏み込んでもよかったのではないか。

参考:山田奨治.『禅という名の日本丸』.弘文堂.2005

次は、

(2)デジタルアーカイブデータおよび分析データを用いた古文書料紙の分類-天野山金剛寺所蔵の古写経を例として-(坂本昭二)

古写経の研究ではあるが、「文献」については一切触れないで、どのような紙に書いてあるのか、についての研究。この場合は、「宿紙」(=現在で言えば、紙のリサイクル利用、一度使った紙を、もう一回、漉き直してつかう。もとの墨の色が残るので、やや黒みがかった色になる)の、色や、漉き方の種類についての、モノとして紙についての研究。

どのような紙で、ひとつの文書・文献のまとまりが形成されているのか、という観点からみると、非常に面白い。おそらく、旧来の、いわゆる古典籍学からは、生まれない発想。一部、敦煌文献などについては、どのような紙で、ということは問題になるが。

この種の発表について、「では、このことによって、金剛寺の古写経が、どのような文献学的知見が得られるのですか?」という、野暮な質問が出ないところが、CH研究会のいいところだと思う。この方向は、仏教学などの専門家が、こういう調査結果をどのように利用するか、にゆだねられるべきだと、私は考える。

ただ、色の処理については、コダックで調整したのは問題。同じ照明であれば、同一条件下で撮影したデータについて、相対的な比較調査はできる。しかし、照明が変わった撮影データでは、出来ない。まずは、18%標準反射板による、ホワイトバランスの調整、そして、できれば、マクベスをつかった色の調整が、好ましいと、思う。

當山日出夫(とうやまひでお)

新常用漢字:朝日新聞の白石さんの記事を読む(1)2009-01-24

2009/01/24 當山日出夫

先日(2009年1月21日)より、朝日新聞(私の見るのは大阪版)において、白石明彦さん(編集委員)による、新常用漢字についての解説記事が載っている。上・中・下、の3回。読んでおもうところを、いささか。

第1回(上)では、常用漢字の改訂(新常用漢字表:仮称)の意味について説明してある。現代の日本語をつかう生活にあった漢字表の制定、理念として、このことに異論のある人は、まずいないだろう。

ただ、ことの経緯をみると、次のような問題点が、思い浮かぶ。

1.大きな背景は、情報機器への対応、である。一般論としては、異論はないだろう。だが、個別にみると、次の点が問題。
(1)表外漢字(印刷標準字体)
(2)人名用漢字
(3)JIS X 0213(00)から、04への改訂 それと、0208規格の併存
これをふまえないでは、情報機器への対応といっても、実際には、混乱する。しかし、だからといって、このあたりを、十分に説明するのは、通常の新聞の紙面においては、難しい。たぶん、パブリックコメントにおいても、難しいだろう。

2.読める字と、書ける字が、別であってもよい。これも、一般論としては、問題なかろう。TVのクイズ番組など見ても、漢検の問題がよく登場する。読めても書けない、これは、日常生活の実感である。しかし、その分類は、不可能に近い。となれば、2000字ぐらいをめどにして、「読んで書けて」という方向になってしまう。

いっそのこと、「書ける」字は、教育漢字に限定してしまい、後は、情報機器で、正しく使えればいい「読める」字、という方向もありだろう。だが、これも難しい。都道府県名は、これまで、常用漢字外であった。日本の都道府県名が、書けなくてもいい、というのは、日本国の定める漢字表としては、問題有りだろう。

中等教育(中学・高校)で、書く必要のある字、も考えられるが、これは無理。かなりの固有名詞漢字をふくんでしまう。

3.「広場の漢字」、これも、一般論としては、異論無かろう。だが、現実に、「広場」から何をイメージするかとなると、とたんに錯綜しストップしてしまう。

以上を考えると、理念としての、新常用漢字表(仮称)の制定には、一般論として、異論はとなえにくい。強いて反論するならば、いっそのこと無くしてしまえ、という方が、正論に思えるぐらいである。

「情報機器」の利用を背景にした「広場」の漢字、これを具体的に考えるには、今回の改訂作業は、理論的にも技術的にも、無理があったのではないか、というのが、率直な感想である。

當山日出夫(とうやまひでお)