字がたくさん見えることの不幸2009-02-18

2009/02/18 當山日出夫

わすれないために書いておこう。

さしあたっての締め切りは、今度のARGカフェの用意。それから、3月27日の「東洋学へのコンピュータ利用」(京大)の原稿。これと関連して、内村鑑三全集(デジタル版)の文字がどうなっているかの分析、というか、説明。

なりゆき上、「今昔文字鏡」を使ったのは理解できる。しかし、それを、フォント埋め込みPDFにして、渡してもらっても、かえって、さっぱり分からない。

一つは、フォントのライセンスの問題。これは、私としては、知ったことではないと言えるが、なんとかしないと、刊行できない。

現在、手元にあるデータでは、「0208」で書けなかったところについて、
・今昔文字鏡フォントを使ってある箇所
・0213(04)のフォント(MS明朝)に置き換えた箇所
・精興社フォントで置き換えた箇所(これは、0208内部にもある)
これが、全40巻、ある。こんなの見ただけでわかるわけないだろ。

Acrobatで検索かけて、PDFで、どう見えるか、そして、その箇所を、エディタにコピーしてどう見えるか、いちいち、やらないといけない。幸い、別処理した文字の一覧表はある。

でもねえ、正直言って、今昔文字鏡があって、字が見えるようになっているということは、不幸なことなのかもしれない・・・と、つくづく思ってしまう。テキスト処理上は、〓(ゲタ)の方が幸せなのかもしれない。

當山日出夫(とうやまひでお)

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