絵文字における通信と表現(1)2009-03-08

2009/03/08 當山日出夫

絵文字については、種々の立場から、いろんな考え方があるだろう。とりあえず、グーグルおよび日本の携帯電話会社が、ねらっているのは、規格化、である。それも、現在、相互に互換的に運用している字種(?)に限って。

その一方で、現実のユーザの個々人からすれば、表現、の問題になる。

ふりかえって考えてみれば、いわゆる「JIS漢字」は、そもそも通信の規格である。それを、言語表現の視点から、ひとびとがとらえるようになったとき、JIS漢字批判の動きになる。少なくとも、私が理解している経緯としては、おおきくはこの流れになる。

端的には、森鴎外を、「区鳥」なんかで書きたくない、「區鳥」で書くべきだ、ということ。

JISの規格票としては、文字概念と、それに対応する、代表字体をしめしただけで、実装字体については、そう厳しく規定しているわけではない。97年版で、「包摂基準」が示されたが、これを「制限」と見るか、「自由」と見るかは、解釈がわかれるところかもしれない。

印刷標準字体で、簡易慣用字体、許容三部首がある。つまり、堂々と使っても、いっこうにかまわないはず……である。(このあたり、新常用漢字の問題ともからむ。)

さて、絵文字であるが、個々の個人は、「表現」として使っている。それに対してサービスするのが、携帯電話会社でありグーグルである、という方向になる。そして、表現というのは、規範に依拠しつつも、そこから離れて独自性を発揮しようとする。

絵文字の規格化(ユニコード)が、どういう方向にすすむかわからない。しかし、拡張への道を開いてしまったことは確かだと思う。現在までは、携帯電話どうしの約束事という制約のなかで、その互換性に依存せざるをえなかった。この段階では、拡張の要求は、なかなか主張しにくい。

しかし、コード化が可能となれば、拡張可能性の要求の方向が一つに定まる。つまり、新しい絵文字に対して、新しいコードポイントを与えればすむことになる。理論上は、であるが。

絵文字のコード化は、同時に、新しい絵文字拡張のルールを同時に定めるものでなければ、混乱を招くことになりかねないのではないか。

當山日出夫(とうやまひでお)

読んでいない本2009-03-08

2009/03/08 當山日出夫

花粉症のシーズンで、本を読むのがつらい。いま、考えていること、

「読んでいない『読んでいない本について堂々と語る方法』について堂々と語る方法」

は、いったいどのようなものであるか。

當山日出夫(とうやまひでお)

『諸君!』と『朝日ジャーナル』2009-03-08

2009/03/08 當山日出夫

昨年(2008)から、今年(2009)は、どのような年として記憶されるだろうか。一般的には、100年に一度の大不況の時期、かもしれない。

個人的には、2008年は、筑紫哲也が亡くなった年。そして、2009年は、『諸君!』(文藝春秋)が、休刊となる年。

学生のころ、『朝日ジャーナル』を買って、同時に、『諸君!』を読んでいたりした。中間の、毒にも薬にもならないようなのは、無用。

ある人の死が、一つの時代を象徴する例が、個人的には、ある。その一人が、筑紫哲也。言論(ジャーナリズム)が消えた、と感じる。他には……吉田満(『戦艦大和ノ最期』の著者)もそう。戦後が終わった、と戦後生まれの私は実感した。

単なる、個人的な感傷であろうが。

當山日出夫(とうやまひでお)

東洋歴史地図元代彊域部2009-03-08

2009/03/08 當山日出夫

松田さん、どうもありがとうございます。さっそく、Googleで「京都大学 那珂通世」で検索をかけると、出ました。

近代教育掛図
東洋歴史地図 元代彊域部
那珂通世監修 第一高等学校蔵版

http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/kakezu/page/0301.html

當山日出夫(とうやまひでお)