『ARG』365:日本から見た日本文化と外国からみた日本文化2009-03-10

2009/03/10 當山日出夫

「ARG」の365を読んでの感想をすこし。

http://d.hatena.ne.jp/arg/20090304/1236123801

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さて、ここからは質問。特にこれをお読みの出版関係者や図書館関係者にう
かがいたい。あなたが北米の日本研究司書に伝えたいことは何だろう?ご教
示・ご示唆いただけるとありがたい。
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これは、先日の、DH国際シンポジウムでも感じたこと。大英博物館の担当者の方などが強く主張していたこと。外国から見た日本文化は、「アニメ」「マンガ」もふくむものであり、そのように展示も構成されている。

当日、かなりスケジュールが厳しく、会場での質疑応答というわけにまで発展しなかった(当日は、同時通訳があった。)

何をもって日本文化、そして、日本文化の研究書とするか、このあたりに、そろそろ明確な壁が生まれているように感じる。おそらく現在の日本では、現代日本文化研究の一部として「オタク文化」「サブカルチャー研究」があり、その中に位置づけられるだろう。たしかに、一部の大学では、「マンガ」「アニメ」などの授業もある。しかし、それは、文学部・人文学のメインではない。(古典的な意味でのリベラル・アーツからすると、少し外れると言っていいかもしれないが。)

整理すると、

欧米に限らずアジア各国における「日本文化」には、現在の「マンガ」「アニメ」をふくみ、場合によっては、古代の縄文時代から、琉球(かつては独立の王国であった)までふくむ。いや、むしろ、現在の「マンガ」「アニメ」から、日本文化への関心を持っているという方が大多数だろう。

しかし、日本において、大学や学術書出版は、伝統的な、講座・学科・専攻の枠組みのなかにある。『源氏物語』をあつかっても、平安時代の文学研究者の視野のなかに『あさきゆめみし』がはいっているかどうか。逆に、「マンガ」「アニメ」専攻の学生が、『源氏物語』をきちんと読んでいるかどうか(読めるだけの、古文読解力をもっているかどうか、まあ無理だろう)、あまり希望は持てそうにない。

『源氏物語』をふくむとしても、絵画、能楽、浮世絵、近世期の出版物、さらには、現代の「マンガ」「アニメ」まで、ふくむことになるかどうか。かなり幅広い知識と、柔軟な発想。少なくとも、自分では分からなくても、研究者間のダイナミックな交流、これが必要である。

では、このような状況に、日本の大学の組織、図書館、はどう対応できるか。研究者や図書館をマーケットとして、学術書の企画・出版もある。

もとにもどって、岡本さんの問いについての、私のこたえ・・・グローバルな環境における日本文化研究に、日本の、そして、外国の、図書館や学術書出版は、いかに対応していくべきなのだろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

文学館研究会とMLA2009-03-10

2009/03/10 當山日出夫

『ARG』の365号で知った。岡野裕行さんの文学館研究会。

文学館研究会
http://www.literarymuseum.net/

ブログ Literary Museum Studies
http://d.hatena.ne.jp/literarymuseum/

http://d.hatena.ne.jp/literarymuseum/20090126/p1

この岡野さんの文学館の件は、ARGの以前の号で知っていて、コメントしようと思いながら、時間がたってしまった。

私の言いたいのは、次の2点。

第一に、文学館というのは、「図書館」「博物館」「文書館・資料館」、いずれであるのか。とりあえず、法的な位置づけは別にして、文学館の設立・運営主体がどのように自己認識しているのか。図書館(ライブラリ)と、文書館(アーカイブズ)では、「本」のとりあつかいが異なる。ライブラリは、本のケースやカバーは取り除く。本を単体にする。しかし、アーカイブズでは、本のケースやカバーも残さなければならない。また、その作家の本棚が再構成できるように整理する必要がある。

このあたりが、文学館の今後について考えるポイントではなかろうか。

第二に、文学館と称するところより、もうすこし幅をひろげる方向があってもいいかと思う。例えば、兵庫県を見ると、「橋本忍」はあるが、「手塚治虫」はない。映画はふくめるが、マンガは別というのも一つの判断だとは思う。京都府では、京都国際マンガミュージアムは無い。ここでは、マンガのみならず、紙芝居も残そうとしている。

自分の子供の頃を思い出すと(歳がばれるが)、マンガ雑誌は、決してマンガだけで誌面を構成していたのではない。かなりの、読み物のページがあった。強いてサブカルチャーという枠組みを設定しなくても、マンガと文学は、日常生活のなかでつながっている。古い時代のことをいえば、「貸本屋」があり、そこには、「貸本」と同時に「貸本漫画」もあった。

文学館研究会が、できたばかりでここまで視野を広げるのは無理かと思う。また、マンガなどまでふくむとなると、旧態依然たる文学研究者の反感をまねくことにもなりかねねないだろう。

ここは慎重に、しかし、情報収集の網はひろげておいた方がいいように思う。

やや苦言めいたことを書いてしまったが、岡野さんの文学館研究については、賛辞を惜しまない。

當山日出夫(とうやまひでお)

ことばのうみ2009-03-10

2009/03/10 當山日出夫

これも『ARG』からの情報。

宮城県図書館、宮城県図書館メールマガジン「ことばのうみ」を創刊

http://www.library.pref.miyagi.jp/about_us/toroku-merumaga.html

ここには、なぜ『ことばのうみ』であるのか説明が書いていない。以下、推測。

「国語学」という分野にいれば、「ことばのうみ」から連想するのは、『言海』(大槻文彦)。そして、「ことばのうみのおくがき」(『大言海』)。『言海』は、日本近代における本格的な国語辞典のさきがけ。語の五十音順配列。

詳しい伝記はややこしくなるが、大槻文彦は、仙台藩と関係がある。したがって、宮城県→仙台藩→大槻文彦→言海→ことばのうみ、という連想であろうか。

なお、『言海』は、新しい本としては、ちくま学芸文庫にある(複製本)。また、大槻文彦の評伝としては、

高田宏.『言葉の海へ』(洋泉社MC新書).洋泉社.2007.(オリジナルは、1978年、新潮社)

書庫の中をさがせば、学生のときに読んだ新潮社版があるはず。

ところで、この本のオリジナルの奥書にこうある(引用は、現在の洋泉社版から)、

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仙台市の宮城県立図書館では、紹介状があるわけでもなく宮城県民でもない私のために、ひとりの館員の方がほとんど一日つきあってくださって、大槻家関係の文献をふんだんに見ることができた。私の知らなかった大槻文彦の文章も、「たしかあの雑誌」にあったといって探し出してもらった。(p.295)

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當山日出夫(とうやまひでお)

司書の資格の専門教育のある大学のこと2009-03-10

2009/03/10 當山日出夫

司書というのは、本を読まないものである、という意味のことが、『読んでいない本について堂々と語る方法』の初めの方に書いてある。(まだ、全部読んでいない、ま、いいか。)

司書については、

かたつむりは電子図書館の夢をみるか  2009年3月9日
「図書館情報学教育と大学図書館におけるアウトソーシングの相関」(A-LIEP2009発表報告)

http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20090309/1236605255

司書の教育課程と、実際に働いている司書の人の数。相関関係か、因果関係かは別に、個人的におもうこと。

たとえば、筑波大学で司書過程の履修者というのは、どれほどいるのだろうか。図書館情報大学と一緒になる前と後で、どう変化があるのか。

私の学生のころの個人的感想をいえば、同じ三田の文学部の中に「図書館情報学科」というのがあると……なんとなく、司書については、普通の学生は、縁遠いようなイメージがあった……と記憶する。単なる個人的な独断かもしれないが。

當山日出夫(とうやまひでお)