デジタルは人文学の衰退か(2)2009-03-13

2009/03/13 當山日出夫

2009年3月11日のつづき。
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/03/11/4167990

現代の日本で、人文学研究が危機的状況にある、このような言い方は、表現の仕方はちがっても、あちらこちらで目にする。少なくとも、盤石であり、将来に大いに希望が持てる、という話しは、寡聞にして知らない。

この人文学の衰退といったとき、二つの視点がある。

第一に、後継者がそだたない。このなかにも、いろんな問題がある。

・PDなど、せっかく勉強しても将来が見えない状況にある現状。

・そのせいかもしれないが、学生が集まらない。これも、学部レベルの入試段階でも言えることだろうし、また、大学院進学についても、言えること。

・もっとも根本には、学生全体のレベル低下。いわゆる「ゆとり教育」のせいかどうかは別にして、知への積極性が欠けるようになってきている。人文学は基礎教養であるといっても、その一方で、知的スノビズムがないとなりたたない。
このあたり、『日本語が亡びるとき』(水村美苗)における「フランス語」への言及が示唆的である。

第二には、従来の人文学研究の枠組み(講座・学科・専攻・学会など)の枠組みが維持できなくなってきていること。まあ、学会・研究会は、時代の変化に対応してどうにかなる面がある。
今月末の「東洋学へのコンピュータ利用」(京都大学)など、既存の大学の学問の枠組みでは、とてもとらえきれない。だから、面白いのであるが。

最近、心理学や社会学を、文学部から切り離す動きが見られる。これも時代の流れだろう。とすると、文学部に残るのは、旧態依然たる、文・史・哲、ということになる。そして、ここに人材が来ない。学科・専攻が維持できない。また、同時に、「地域研究」という発想では、「文・史・哲」の枠組みを横断的にこえなければならない。それに、教員や教育のシステムが、なかなか対応できない。

では、以上のような流れのなかで、デジタルは、人文学研究とその教育に何をもたらすのであろうか。個人的には、あまり楽観的にはなれない。しかし、後戻りはできないことも確か。

當山日出夫(とうやまひでお)

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