初音ミク:CGは表現か記録か2009-03-21

2009/03/21 當山日出夫

DH(デジタル・ヒューマニティーズ)というような方面にかかわりを持つようになると、CG制作についての発表などに、よく接する。そのとき、いつも思うのだが、そのCG(3D)は、「記録」であろうか、「表現」であろうか。

まず、写真についても言える。今の日本で、「記録」としての写真ということを本当に考えている人は、あまりいない。私の知る範囲では、考古学関係の人たち。

初音ミク、もはや、「音声」を越えてしまっている。作詞・作曲はもちろんのこと、CGまでふくんで、「創造」「表現」の世界に、重要な位置を占めるようになっている。しかも特徴的なことは、インターネット上で、分散して、「作品」をつくりあげていくこと。

現に、現在のネット社会の中で、このようなものが存在するとき、伝統的芸能の、モーションキャプチャや、それによるCGは、どのような意味をもつのか。根本的なところから問い直さなければならないのではなかろうか。

結論をいえば、
(1)記録としてのCG
(2)そのCGを作成した資料としての計測データ
この二つが重要。そして、(2)の計測データを残すこと、これが、最も重要な課題ではないのか。その、研究資料アーカイブを考えるときにきている。

當山日出夫(とうやまひでお)