『ARG』367号を読んでの感想2009-03-23

2009/03/23 當山日出夫

「ARG」367号を読んでの感想をすこし。

羅針盤「『インターネット心理学のフロンティア』の執筆者、そして読者として」(折田明子)

である。

匿名性について。このブログを作っているアサヒネットが、パソコン通信の会社だったころ。NIFTYやPC-VANなどと、大きく違っていたのは、確か、名前と居住地(市町村までだったか)は、公開されていた。もちろん、ハンドルネームはつかえる。

これは、今から振り返れば、人数も非常に限定的な時代だった。ただ、個人的な感想としては、かつてのパソコン通信の時代に、今の、インターネットのプロトタイプを見たと感じている。逆に言えば、今のインターネットには、実は、あまり「ゆめ」とか「希望」を感じない。

くだんの本をまだ読んではいないのだが、パソコン通信からインターネットへの流れのなかで、何が起こったのか、人はどのように考えたのか、今こそが、検証可能な、最後の時期ではなだろうか。

私の立場としては、このような視点から、インターネットを考えてみたい気がする。また、私が、あえてブログにおいても、匿名にしないかというと、パソコン通信の時代からの考えが抜けないせいもあろうかと思う。端的にいえば、下手に匿名にするよりも、自分の名前を出して専門的な意見を述べている方が、安全であり、また、得るものも大きいと感じるからである。

それから、折田明子さんのブログは、読んで、非常に勉強になっていることを付け加えておきたい。

當山日出夫(とうやまひでお)

図書館の照明について思うこと2009-03-23

2009/03/23 當山日出夫

「ARG」の367号を読んでの感想のつづき。

http://d.hatena.ne.jp/arg/20090322/1237692877

図書館の照明、う~ん、あんまり気にしない方と言ってしまうと、それで終わりである。まあ、私ぐらいの年代になると、本を読むために、眼鏡をかえるという必要がおこる。辞書をひくとなると、眼鏡をはずして、その上、ルーペまで必要だったりする。(なお、私は、文字のことを勉強している人間なので、文字のデザインの一点一画まで見る必要がある。)

ちなみに、使っているルーペは、エッシェンバッハ、あるいは、ツァイス。

で、図書館の照明、いわれてみれば、本を読む環境としては非常に重要。ただ、今の大学図書館というのは、本を読むというより、コピーをとる場所という雰囲気が強い。

ただ、今の、自宅の書斎の照明には、少しコストをかけた。建てたのが10年以上前になる。このとき、書斎の照明としては、コンピュータ用のものをつけた。わざわざ、ナショナル(今は、なくなってしまったが)のショールームに行って、照明機器の専門のカタログを見せてもらって、選んだ。でないと、通常の住宅建築の家電店では、とりあつかっていない。

読書用の照明としては、別に、林原のバイオライト+LUXO、がおいてある。

もとにもどって、図書館の照明。私の学生のときは、まだ、重文の建物をつかっていたので、現代風の照明デザイン以前の状態。それに、本を読むのは、閲覧室よりも、書庫の中で、脚立に腰掛けて読むのがすきだった。本にかこまれて本を読むのが好きなのである。

當山日出夫(とうやまひでお)

東洋学へのコンピュータ利用セミナーの準備2009-03-23

2009/03/23 當山日出夫

さて、そろそろ、じたばたとあわてないといけない。もう、数日しかない。金曜日(27日)の、第20回「東洋学へのコンピュータ利用」セミナーの、準備。

別にたいしたことは、話しません。

アーカイブとして残るのは、実は、物理的には、紙とインク・墨。それを、「文字」と認識して見ているだけ。では、デジタル文字はどうか。これは、とてもあやうい。

フォント埋め込みPDFが、今は主流になりつつある、と思うが、これで、確実に文字データ(フォント・グリフ)を残せるだろうか……

というような話しを、
・3月の京大 東洋学へのコンピュータ利用
・4月の学習院大 日本アーカイブズ学会
・5月の東大 情報処理学会CH研究会

と、順番に、視点をかえながらまとめてみる予定。これをフィードバックして、『内村鑑三全集』のデジタル版の、刊行と有効な利活用につなげたい。

しかし、パワーポイントで表示の文字が、この先も同じであるという保証がない。むか~しの、OHPの方が、意外と、安定して文字が残ったりするかもしれない。論文は紙で残る(ただし、情報処理学会は、次年度から、完全にペーパーレス、紙の論文はつくらない)。だが、その研究発表のデータは、同じに見える状態で残せるだろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)