DHワークショップに行きたかったが2009-03-26

2009/03/26 當山日出夫

今日は、確か、「新常用漢字表(仮称)」の説明会のはず。また、それとは違うが、東大での「デジタルヒューマニティーズ・ワークショップ」が3日間、開催される。行きたいのやまやまであるが、ともあれ、明日は、京大のセミナーで発表。

・今昔文字鏡を使って入力したデータは、プレーンなテキストにすると字が化けます。どうしましょう。

・JIS漢字でも、XPで0208で書いたのと、Vistaで0213(04)で書いたのでは、字が違って見えます。どっちにしますか。

・拡張新字体でいいでしょうか。

・Unicode CJK統合漢字までつかいますか、どうしますか。

というような話し。はっきり言って、目新しいことは何もない。しかし、一方で、このようなことでも、意外と世の中に広まっていない。分かりやすく、このようなことを説明するとなると、とても難しい。

一般の人に分かりやすく解説するという努力がもっと必要。「新常用漢字表(仮称)」と文字コードの問題も、このあたりにある。

また、DH(デジタル・ヒューマニティーズ)を考えるうえで、テキスト処理は基本の技術。それを根底から支えるのは文字コード。さらには、将来のデジタル文書のアーカイブズも考えねばならない。

文字からはなれて、本を読んですごしたい。

當山日出夫(とうやまひでお)

後世からみる学問とは2009-03-26

2009/03/26 當山日出夫

松田清さんのtonsa日記を読んでいると、面白い。

一番丸のこと 風雅と洋学
http://d.hatena.ne.jp/tonsa/20090325/1237988782

この記事のなかの次の指摘は重要、


世の中には、いまだに「蘭学は日本の近代化を準備した」「蘭学者は近代化を導いた先覚者である」など、蘭学についての固定観念あるいはレッテルが根強く残っています。蘭学に限らず、ある時代の知識、学問が終息したあと、それを論ずる際に、その知識、学問の持っていた多様性を無視し、後世の観点から単純に決めつけるのは簡単ですが、そうした態度は学問的態度とはいえません。


とはいえ、時代の全体像をつかむのは、困難。ほんの一昔前のことが分からない。例えば、『明治大正史世相篇』(柳田国男)、『逝きし世の面影』(渡辺京二)。

さて、明日は、京大でセミナー、一番で発表。

當山日出夫(とうやまひでお)