『ウェブはバカと暇人のもの』2009-05-05

2009/05/05 當山日出夫

中川淳一郎.『ウェブはバカと暇人のもの-現場からのネット敗北宣言-』(光文社新書).光文社.2009

この本の対極にあるのが、梅田望夫であり、佐々木俊尚、などの著作であろう。ネットに未来を見る。だが、この本は、(意図的にであろうが)その、正反対のことを言っている。

とはいえ、ネット礼賛への単なる批判書かというと、そうでもない。かなり、冷静に、現在の(すくなくとも日本の)ネットの状況を確実に見ている。

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断言しよう。凡庸な人間はネットを使うことによっていきなり優秀になるわけではないし、バカもネットを使うことによって世間にとって有用な才能を突然開花させ、世の中に良いものをもたらすわけでもない。
(p.18)

・ネットはプロの物書きや企業にとって、もっとも自由度がない場所である。
・ネットが自由な発言の場だと考えられる人は、失うものがない人だけである。
(p.90)
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として、「集合知」ならぬ「集合愚」に言及する。

個人的感想としては、全体的にはあたっている、と思う。とはいえ、だから、梅田望夫・佐々木俊尚の本が無意味かというとそうでもない。端的に言えば、「2ちゃんねる」までふくめてネットと考えるか、あるいは、これは無視しておいて、志ある人間による情報発信と相互の連携(トラックバックやSBMなど)に、将来におけるネット言論を見るかである。

自分が見ているネットの世界は、全体のなかの一部にすぎない。そこをどう利用するか、バカな暇人がつかうだけではない。ネットから生まれる、新しい「知」もあり得ることを、信じる。

當山日出夫(とうやまひでお)

『病の起源』睡眠時無呼吸症2009-05-05

2009/05/05 當山日出夫

『病の起源』1・2.NHK「病の起源」取材班(編).NHK出版.2009

ゴーギャンの作品に「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」というのがある。いまの「われわれ」はどのようにして今のごとくあるのか。

昨年のNHKの番組を本にしたもの。以前、このブログでも、すこし触れたことがある。しかし、順番に読んで感想を記していってみようと思う。この本(2冊)で言及してあることは、いわゆる「病気」ではある。しかし、細菌やウイルスによる病気ではない。人間が、進化の過程で、やむなくそうなってしまった、まさに人間の存在にかかわることである。

第1巻は、睡眠時無呼吸症、骨と皮膚の病、腰痛、からなる。まずは、睡眠時無呼吸症、から。

論点は、多岐にわたる。睡眠時無呼吸症による、昼間の眠気の問題としてまず提起される。確かに、現代社会において、昼間の時間、眠くなってしまう、というのは「こまる」。だから、「病」ということになる。その対処法も、いろいろ考案されている。

だが、同時に考えなければならないのは、人間の無呼吸症という危険をおかしながらも獲得したものがある。それは、言語(音声言語)である。どこまで、「言語」が人間にとって、生得的なものであるか、これは、言語研究においても、さまざまに議論がある。

私個人の考えることとしては、先天的な聴覚障害の人であっても、言語運用能力はある、ということから、「言語=音声言語」に限定して考える立場には、賛成しない。

とはいえ、人類が「音声言語」を獲得したことの意味は、人類史において、画期的なことであることは確か。

ところで、『動的平衡』(福岡伸一)には、興味深いエピソードが登場する。ゾウとクジラの話しである。通常の人間の可聴領域よりも低い音域で、ゾウはコミュニケーションしている。そして、ゾウとクジラが、「はなし」ができる。

また、イヌは、人間よりもはるかにするどい耳を持っていることは、よく知られている。

ここで私は次のような疑問を感じる。なぜ、人間は「音声言語」を獲得したとき、どの範囲の周波数の音を可聴領域とし選ぶことになったのか。その必然性は、いったいどこにあるのか。自然界にあるさまざまな音のなかから、人間が選んだ音の範囲と感度の意味は、いったい何であるのか。

これは、音のみならず、光(色)にもあてはまる。

當山日出夫(とうやまひでお)