『翼よ、あれは何の灯だ』2009-05-30

2009/05/30 當山日出夫

『翼よ、あれは何の灯だ 清水義範パスティーシュ100 六の巻』(ちくま文庫).清水義範.筑摩書房.2009

おそらく、私の人生における最大の幸福(といってはおおげさかもしれないが)は、清水義範の作品を、ほとんど注釈なしに読めることである。そして、たぶん、後の時代になって、注釈つきで清水義範の作品を読むと、まったくこのおもしろさが理解できないだろう。

このこと自体を、すでに、この「六の巻」所収の「デストラーデとデステファーノ」という作品で、作者みずからが「実践」している。

文学作品の読者を分類するところから始まる
1.雑誌による読者
2.単行本による読者
3.文庫本による読者
4.後の世の読者

作品中で言及されていることがらについて、リアルタイムで分かるかどうか、である。

このことを、「六の巻」所収の「桃太郎vs.金太郎」でいうならば、つぎのような箇所
・ワンパクでもいい。逞しく育ってくれれば
・あれは福助さんだろうか
・かの有森とエゴロワの如く
・セイコーの電子時計でも

私の世代であれば、みんな「わかってしまう」。そして、わけがわからなくなってしまった箇所に注をつけることの、おろかしさについては、「二の巻」所収の「注釈物語」で、これまた「実践」してみせてくれている。

こんなふうにかんがえると、『源氏物語』の「ひきうた」がどうのこうのなどという「研究」は、馬鹿馬鹿しく思えるのである(半分以上、真面目な話しとして)。ま、それを、大まじめにやるのが「国文学」なのかもしれないが。

當山日出夫(とうやまひでお)

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