Wikimediaカンファレンスの用意など2009-11-15

2009-11-15 當山日出夫

これから、なんだかんだと忙しい。忙しいのは常のこととしても、週末が、学会などの用事がはいるとおちついて本が読んでいられない。次の次の週の授業の用意までしておかないといけない。いくら、前年度のつかいまわしといっても、その時々の状況に応じて手を加えないといけない。あたらしく今年からというのもあるし。

まずは、Wikimediaカンファレンス2009の用意。どんな人たちがあつまるかわからない、というのは、とても不安。Wikipedia礼賛というわけにもいかないし(現状では、無理であるが)、また、全否定もできない(そのようには思わない。)

Wikipediaが、今の(日本の)人文学に問いかけるもの、というような方向で考えてみようかと思っている。基本の路線は、つぎの二つにする予定。

第一に、これは私の持論であるが、人文学の知というのは、その継承のなかにある。何かを教えているのだが、その本質は、教え方を教えている、と考えた方がいいかと思う。ただ、このあたり、近代的な制度としての学問と、東洋に伝統的な芸能世界とを、区別できないでいる、というあたり、自分ながら、うまく整理できていない。しかし、このような方向からの発想もありだろう。

第二に、Wikipediaもまた、集合知のなかの一つであるという認識。その外にある知の集合には、リアル(書籍)もあれば、WEBもある。一蓮托生、運命共同体。さらにいえば、Wikipediaの質を高めるためには、全体が向上しなければならないだろう。Wikipediaだけが、他にぬきんでて、ということはありえない。ここまでは一般論。日本の場合の個別の論でいえば、なぜ、「オタク」的項目が、かくも充実しているのか。それは、Wikipediaが、ひとつのメディアであるから、ということであろうか。メディア論としての、Wikipedia、あるいは、「百科事典」という方向のアプローチもあるにちがいない。

「こたえ」をもとめての会合ではない、と認識している。いろんな立場の人間があつまって、さらに多様な問題点を出し合うことの方が、より重要だろう。それを基盤にしないことには、次のステップはありえない。

ところで、『ニューズウィーク日本版』(2009-11-18)、特集:本と雑誌と新聞の未来。非常に刺激的である。引用したい箇所もあるが、もうすこし、整理できてからと思っている。

當山日出夫(とうやまひでお)