百科事典を使う教育2009-11-25

2009-11-25 當山日出夫

先日(2009年11月22日)、Wikimediaカンファレンス2009(東京大学)で、話しをして感じたこと。

端的に言えば、日本には、「百科事典」をつかう教育の基盤がない。そこに、デジタルのWikipediaがはいってきたらどうなるか、その混乱と見ることもできよう。

まず、(私自信の経験からであるが)、初等教育からはじまって、高等教育にいたるまで、「百科事典」を学習に利活用するという教育をうけていない。高等教育(大学)レベルであれば、むしろ見るべきは、専門の事典である。たとえば、『国史大事典』などの類。これをみるべきであって、「百科事典」などは、ちょっと参考にする程度……というのが、一般の大学教育のでのあつかいではないのか。

なお、私は、事典・辞典の類は、買ったらすぐに箱とカバーをすててしまう。本を裸の状態にして本棚におく。大漢和・日本国語大辞典、すべてしかりである。百科事典を豪勢なケースに入れて売るという本の作り方、売り方自体が、事典(辞典)を、実用につかうものとして考えていない証左といえようか。

もし、百科事典を使う文化が日本に根付いているとするならば、その置く場所は、リビングか、でなければ、書斎、であろう。応接間に飾っておくようなものではない。一瞬でも早く手のとどくところにある、これが、百科事典の正しい置き方の基本であると思っている。

この意味では、パソコンの百科事典が、紙の百科事典にとってかわるというのは、よしとすべきなのかもしれない。だが、それが、Wikipediaだけではないはず。有料の百科事典もある。なぜ、Wikipediaなのであろうか。

それから、もし、ANIME-Wikiや、MANGA-Wikiが、登場したとして、現在のWikipediaの項目が、そちらに移行するであろうか……そうではないかもしれない。そうはならない可能性が高いのではないか。日本のWikipediaは、ポピュラーカルチャー系の項目が圧倒的に多いことで知られる。それは、いろんな理由があるであろう。

アニメやマンガについて書くのに、何も、Wikipediaでなければならない必然性はない。他の、Wikiを使ったシステムでもいいはずであり、そのように使いやすく、管理も専用にした方がいいようにも思える。しかし、現実には、そうなっていない。何故か。ここは、そのような項目に書いている人が、「Wikipedia」という「百科事典」の中に書きたいという潜在的な要求がある、ということを読み取るべきではないのか。

そしてこれは、そもそも百科事典とは何であるのかという、各地域や文化の背景によって異なる。日本には、日本なりの、百科事典文化があり、そのうえに、現在のWikipediaの現状がある、と考えるべきであろう。

當山日出夫(とうやまひでお)