异体字の昿埜に出て2011-10-13

2011-10-13 當山日出夫

京大人文研での、安岡孝一さんの連続セミナー。4週連続で、木曜日の6:30から、京大までというのは、ちょっときつかった。最初の2回は、まだ、夏休みのうちであったが、後の2回は、もう後期の授業がはじまってしまっている。

4時間目まで授業して、自動車を適当なところに移動してとめて、百万遍まで通うというのは、かなりきびしい。でも、何人かの人は、私と同じで、連続して聴講していた。(まあ、顔なじみの人も、幾人かはいたのであるが。)

このセミナーの基本的内容は、

『新しい常用漢字と人名用漢字-漢字制限の歴史-』.安岡孝一.三省堂.2011

に書かれていることが基本となっている。

ただ、最後の第4回(㐧四夜)は、ちょっと、範囲を拡大して、戸籍用の文字の話し。(これについて、個人的には、いろいろ考えることがあるが、まあ、おいおい書いていくことにしよう。)

ともあれ、セミナー全体を通して感じたことは、現代の日本で制度的にきまっている文字(字種・字体)について、オリジナルの資料にもとづいて、広範に考察をくわえている人は、数少ない。その一人が、安岡さんであるということになる。

(自らの反省をこめていえば)、日本語研究者は、いったい何をしているのか、ということにもなる。

考えること、いろいろ言いたいことはあるけれど、ともあれ、様々な刺激にみちた4週間であった。できれば、この続編の期待したい。

當山日出夫(とうやまひでお)

じんもんこん2011のTwitter2011-10-14

2011-10-14 當山日出夫

じんもんこん2011のTwitterアカウントがある。まだ、あまり知られていないようなので、ここに書いておく。

http://twitter.com/#!/jinmoncom2011

(うまく、運用してくれるなら)、「じんもんこん」シンポジウムも、Twitterのような、ソーシャルメディアをつかいこなして、よりもりあがることと思う。

當山日出夫(とうやまひでお)

『おまえさん』2011-10-18

2011-10-18 當山日出夫

『おまえさん』(上下).宮部みゆき.講談社(講談社文庫).2011

でてすぐ買って、ほぼひといきで読んだ。前作『ぼんくら』、『日暮らし』、ともに読んでいるのだが、かなり以前のことになるので、登場人物とか、忘れてしまっている。とはいえ、これはこれで、十分にたのしめる趣向にしあがっている。

ただ、難をいえば・・・「本格ミステリ」めいたところと、江戸人情噺めいたところとが、うまく融合しているとみるか、逆に、ちぐはぐになってしまっているか・・・このあたり、評価の分かれるところであろう。

最初に出てくる「謎」は、きわめて魅力的。が、それを、説いていくプロセスが、いかにも、江戸人情噺になってしまっていて、まどろっこしい感じがしないではない。このあたりを、わけて読めば十分に楽しめる作品だろう。

現代日本を知るために読んでおくべき作家としては、まず、宮部みゆき、があがってくるにちがいない。その作品のなかでは、傍系に位置する作品なのかもしれないが、これはこれで、その語り口と話しを、堪能するというタイプの作品だと思う。

もし、できれば、前作『ぼんくら』『日暮らし』から、順に、いっきに読みすすめるのが、一番楽しめる読み方であろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

日本歴史言語学会のプログラム2011-10-28

2011-10-28 當山日出夫

さて、12月はいろいろと用事がある。「じんもんこん」シンポジウムの翌週になるが、どうしようか。東京外国語大学では、

国際シンポジウム「字体規範と異体の歴史」

がある。が、同時に、日本歴史言語学会も、大阪大学で開催である。見てみると、プログラムが発表になっている。

http://www.jp-histling.com/Pages/default.aspx

このHPの「大会案内」から、プログラム(PDF)にリンクしてある。

あまり、家を留守にするわけにもいかない時期であるのだが、さて、どうしようかと、今から、考えるのである。

當山日出夫(とうやまひでお)

『私と宗教』2011-10-29

2011-10-29 當山日出夫

『私と宗教』.渡邊直樹編.平凡社新書.2011

平凡社の『宗教と現代がわかる本』に連載されていたものを、まとめて一冊にしたもの。

登場するのは、高村薫、小林よしのり、小川洋子、立花隆、荒木経惟、高橋恵子、龍村仁、細江英公、相田和弘、水木しげる

それぞれについて、インタビュー記事をまとめたもの。全体として、どう表するかは難しい。ありていな言い方になるが、やはり、現代における宗教の問題を考える上では、様々なヒントを与えてくれる本、という、ありきたりの評価になるであろうか。(しかし、その期待はうらぎらない。)

特に、明確な結論が、この本にあるというわけではない。しかし、現代日本において、かくも多様な宗教観があり得るということ・・・それも、宗教について、一般の人よりもより深く考えているであろう人々において・・・ということを実感する。

個人的な読後感としては、印象に残ったのは、高村薫、小川洋子、高橋恵子、というあたりであろうか。(いわゆる、既成の宗教ではないところにいる人であり、より自覚的という面があるせいかもしれない。)

なお、余計なことかもしれないが、立花隆の次の発言は、気になった。

ユングの「集合的無意識」について、

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それは当然あるに決まってるんじゃないですか。だって同じ遺伝子をえんえん受け継いでいるのがわれわれ人類ですからね。基本的にわれわれはみんな同じ遺伝子を受け継いでいるわけですから、その意識部分がなんとなく共通のものを持っているのはあたりまえの話です。

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このあたりの議論、立花隆のさらにつっこんだ意見を読んでみたい気がする。が、この人、どうやら、宗教よりも、宇宙論の方に、関心があるらしい。

當山日出夫(とうやまひでお)

JADSのモリサワ見学会2011-10-29

2011-10-29 當山日出夫

閑古鳥がないてしまっては困るので、ここにも書いておく。(といって、あまり人があつまりすぎても困るのであるが・・・)。

JADS(アート・ドキュメンテーション学会)関西地区部会では、モリサワの見学会を予定している。モリサワは、いわずとしれた、日本を代表する、フォントのメーカである。文字、印刷に、興味関心のある方の参加を期待したい。

特に、文面には書いていないが、これまれの慣例からして、特に、学会のメンバーでなくても、自由に参加できるはずである。(ただし、参加者は、事前の連絡が必要。)

詳細は、JADSのブログに掲載してある。

http://d.hatena.ne.jp/JADS/20111023/1319334855

2011年11月25日(金) 14:00~16:00

當山日出夫(とうやまひでお)

第1回「知識・芸術・文化情報学研究会」2011-10-30

2011-10-30 當山日出夫

第1回の「知識・芸術・文化情報学研究会」が開催になる。詳しい情報は、JADS(アート・ドキュメンテーション学会)ブログに掲載。

http://d.hatena.ne.jp/JADS/20111028/1319772949

2012年1月21日(土) 13:30~17:30
立命館大学大阪キャンパス(大阪梅田駅前)

ここでは、開催趣旨だけ引用しておく。

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 昨今のデジタル・情報環境の急速な進展とともに、学術分野にも「情報」や「デジタル」を意識した分野横断型の研究が多く見受けられるようになってきました。大学の教育・研究活動においても、この傾向は強まっており、これに関連する教育プログラムやコース、学部が立上り始めています。
 時代に即した新しい研究テーマを持ち、このような課程で学ぶ院生や若手研究者が学術的な交流をする場へのニーズはますます大きくなっています。
 そのため、芸術・文化、およびその他の関連する分野の情報・知識研究に興味のある若手研究者を主に意識した発表・交流の場「知識・芸術・文化情報学研究会」を開催することになりました。
 本会は、異分野の人的交流を通じて、参加者相互が新たな研究テーマや方法を発見できる場と位置づけており、学会発表とはひと味違う萌芽的・冒険的な発表の場にもしていきたいと思います。
 下記の通り第一回目の研究集会を実施しますので、奮ってご応募ください。
 2011年10月吉日

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ひとりでも多くの参加者があることに期待している。

當山日出夫(とうやまひでお)

『仏教、本当の教え』2011-10-31

2011-10-31 當山日出夫

植木雅俊.『仏教、本当の教え-インド、中国、日本の理解と誤解-』(中公新書).中央公論新社.2011

この本、著者の主著であるところの、仏教とジェンダーにしぼって書いた方がよかったのではないだろうか。そう感じる。それに、あれこれと、内容を詰め込みすぎているようだし。しかも、逆に、仏教の受容される基盤にある、民俗(民族)への言及がすくなすぎる気もする。

というような、なんとなく不満がのこるような本なのであるが、仏教について、考えようとするとき、読んでおくべき本(新書本)としては、良書というべきだろうと思う。

ともあれ、仏教について、新書本程度で語るのは難しい。何にテーマを絞って書くか、明確にしておかないといけない。そして、それが、仏教の、歴史的・社会的・文化的な、いろんな背景のなかで、どのように位置づけられるのかが明確でないと。

この意味では、この本、よく書けていると思うのである。単なる、仏教入門ではなく、そこから一歩ふみこんだ、中国・日本での受容の歴史と、仏教におけるジェンダーの問題が、細かな文献の事例とともに、記されている。

さらに踏み込んで、現代仏教におけるジェンダーの問題にまで、言及してあるとなおよいと思うのだが、それは、次の本になるのだろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)