『華麗なる一族』の風景2016-06-05

2016-06-05 當山日出夫

伊勢志摩サミットが、賢島でひらかれた。

その志摩観光ホテルについて、すこし。ここには、10年以前になるだろうか、泊まったことがある。我が家からは、自動車で、3時間ほどで行ける。

志摩について感じたことは……ああ、この景色は、変わっていないなあ、同じだなあ、ということ。何と同じであるかというと……映画『華麗なる一族』の冒頭のシーンである。

山崎豊子原作、山本薩夫監督のこの映画、私は見ている。確か、テレビドラマにもなっているはずである。しかし、そちらは見ていない。小説(原作、文庫版)の方は読んでいる。

山崎豊子.『華麗なる一族』(新潮文庫)上・中・下.新潮社,1980.
http://www.shinchosha.co.jp/book/110412

主人公である万俵一族の正月の恒例行事として、志摩での食事の場面からこの映画ははじまる。そこで、志摩の島々と海の風景が映し出される。きれいだなと、思って見ていたものである。

その何十年か後、自分で、実際にその場所に行ってみて、まず感じたのは、ああ、あの映画のシーンと同じ風景が、今、自分の目の前にある。何も変わっていない、という、一種の感慨のようなものであった。

変わらない志摩の風景がそこにあった。

静かなおだやかな海。そこにうかぶたくさんの小さな島々。海と島とが重なりあって、屏風のような景色をかもしだしている。

ところで、伊勢神宮の式年遷宮のあったのは、2013年のこと。今から3年前である。これも、「変わらない」ものの代表としてとりあげられることが多いように思う。

しかし、これはウソである。島田裕巳の著作など見れば、中世において、数十年も式年遷宮が行われなくて、荒廃してしていたであろうことが、指摘されている。また、明治になって、いわゆる国家神道が作られた後の、いろんな様式・儀式もあるのだろう。

島田裕巳.『神も仏も大好きな日本人』(ちくま新書).筑摩書房.2011
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480066404/

とはいっても、基本的な建築様式が、かなり「古代」の面影をとどめていることは確かなことだろう。おそらく、総合的にみれば、かなりの程度「古代」のままであるといってよいであろうか。

伊勢志摩の風景は、ある意味では、近代になってからつくられた「古代」であるのかもしれない。しかし、そのようなことを知ってはいても、そこに行くと、なにかしら、昔から変わらないでいる何かがある、という感覚になることもまた確かなことである。

伊勢にはだいたいここ数年、毎年行っている。目的は牡蠣の食べ放題(浦村に行く)。年に一度の贅沢と思って行っている。次の冬も行けるだろうか。

追記
この文章を書いたのは、数日前である。昨夜(6月4日)のNHK「ブラタモリ」は、伊勢神宮であった。見ていたら、室町時代に一時、式年遷宮がとだえた時期はあった旨、言っていた。でも、1300年はつづいているらしい。

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