佐伯啓思『従属国家論』 ― 2016-06-27
2016-06-27 當山日出夫
佐伯啓思.『従属国家論-日米戦後史の欺瞞-』(PHP新書).PHP研究所.2015
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-82539-7
さしずめ先に書いた「永続敗戦論」の保守版とでもいえるだろうか。筆者は、いうまでもなく保守派の論客である。
たとえば、次のような箇所。
「だから、いかにも「革新」と「保守」が対立するように見えても、それは見せかけにすぎず、この両者がもたれかかりながら、「戦後レジーム」を作り出したというわけです。「保守」は、たえず「革新」を急進的な体制転換をもくろんでいる、と批判し、「革新」の側は「保守」を憲法改正をもくろみ、戦前への道を逆戻りするナショナリストと批判したりするのですが、いずれにせよ、こんな批判は両方ともまったくあたりません。/社会主義であれ、戦前への回帰であれ、「戦後レジーム」を否定する気など、「革新」にも「保守」にもなかったのです。/両者ともに、アメリカを背後に置いたあの非対称的な二重構造によりかかっていたのです。本当の体制は、まさにこの「構造」そものにこそあった。」(pp.196-197)
保守・革新をふくめた対米従属の戦後レジームの継続という論点は、まさに、先に書いた白井聡のいっていることと重なる。私の認識では、「永続敗戦論」というのは、なにも左派からの特権的な発言でも何でもないのである。
ではこれからどうすればいいのか……具体的な提言が特にあるわけではないのだが、方向はしめしてある。アメリカを相対化することだという。
「すでにこの時期(冷戦終結)に、アメリカでは、冷戦以後の「敵」は日本である、という議論まで出ていたといわれています。」(p.37)
「ここで、日本は、思考の転換をすることができなかったのです。冷戦体制敵な思考がただ変形され延長されただけでした。ただ、アメリカとの良好な関係の維持とそのもとでの経済の活性化、という発想です。「アメリカとの良好な関係」が前提となり、その帰結が「日本の経済発展」なのです。これは戦後ずっと変わりません。」(p.42)
「こうして、日本独自の観点から「世界」を了解する、ということができない。むしろ、「世界」を見る見方を「アメリカ」から借りてくる。/こうなると、とても「アメリカ」を見る、外部的(超越的)観点を持ち合わせているとはいえません。ここに大きな問題があることをまずは了解してください。」(p.43)
そして、その先はどうすればいいのか……この点になると、筆者はこの本では語っていない。たぶん、次の本に書いてあることが、答えなのだろう。
佐伯啓思.『倫理としてのナショナリズム-グローバリズムの虚無を超えて-』(中公文庫).中央公論新社.2015 (原著、2005.NTT出版)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/12/206209.html
佐伯啓思.『大転換-脱生長社会へ-』(中公文庫).中央公論新社.2016 (原著、2009.NTT出版)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2016/06/206268.html
これらの本については、おって後ほど書いてみたい。
佐伯啓思.『従属国家論-日米戦後史の欺瞞-』(PHP新書).PHP研究所.2015
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-82539-7
さしずめ先に書いた「永続敗戦論」の保守版とでもいえるだろうか。筆者は、いうまでもなく保守派の論客である。
たとえば、次のような箇所。
「だから、いかにも「革新」と「保守」が対立するように見えても、それは見せかけにすぎず、この両者がもたれかかりながら、「戦後レジーム」を作り出したというわけです。「保守」は、たえず「革新」を急進的な体制転換をもくろんでいる、と批判し、「革新」の側は「保守」を憲法改正をもくろみ、戦前への道を逆戻りするナショナリストと批判したりするのですが、いずれにせよ、こんな批判は両方ともまったくあたりません。/社会主義であれ、戦前への回帰であれ、「戦後レジーム」を否定する気など、「革新」にも「保守」にもなかったのです。/両者ともに、アメリカを背後に置いたあの非対称的な二重構造によりかかっていたのです。本当の体制は、まさにこの「構造」そものにこそあった。」(pp.196-197)
保守・革新をふくめた対米従属の戦後レジームの継続という論点は、まさに、先に書いた白井聡のいっていることと重なる。私の認識では、「永続敗戦論」というのは、なにも左派からの特権的な発言でも何でもないのである。
ではこれからどうすればいいのか……具体的な提言が特にあるわけではないのだが、方向はしめしてある。アメリカを相対化することだという。
「すでにこの時期(冷戦終結)に、アメリカでは、冷戦以後の「敵」は日本である、という議論まで出ていたといわれています。」(p.37)
「ここで、日本は、思考の転換をすることができなかったのです。冷戦体制敵な思考がただ変形され延長されただけでした。ただ、アメリカとの良好な関係の維持とそのもとでの経済の活性化、という発想です。「アメリカとの良好な関係」が前提となり、その帰結が「日本の経済発展」なのです。これは戦後ずっと変わりません。」(p.42)
「こうして、日本独自の観点から「世界」を了解する、ということができない。むしろ、「世界」を見る見方を「アメリカ」から借りてくる。/こうなると、とても「アメリカ」を見る、外部的(超越的)観点を持ち合わせているとはいえません。ここに大きな問題があることをまずは了解してください。」(p.43)
そして、その先はどうすればいいのか……この点になると、筆者はこの本では語っていない。たぶん、次の本に書いてあることが、答えなのだろう。
佐伯啓思.『倫理としてのナショナリズム-グローバリズムの虚無を超えて-』(中公文庫).中央公論新社.2015 (原著、2005.NTT出版)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/12/206209.html
佐伯啓思.『大転換-脱生長社会へ-』(中公文庫).中央公論新社.2016 (原著、2009.NTT出版)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2016/06/206268.html
これらの本については、おって後ほど書いてみたい。
最近のコメント