宇野重規『保守主義とは何か』2016-07-01

2016-07-01 當山日出夫

宇野重規.『保守主義とは何か-反フランス革命から現代日本まで-』(中公新書).中央公論新社.2016
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/06/102378.html

著者は、自らのことを保守主義者ではないとしている。そのうえで、政治思想としての保守主義のながれを、欧米、そして日本とたどっている。保守主義がどのような歴史的背景のもとに成立したか、その主張はどこにあるのか、よくまとめてある本である、という印象。

第4章「日本の保守主義」を見てみる。

「バークを基準にとるならば」として、保守主義の要点を次のように整理してある。

1.具体的な制度や慣習を保守し
2.そのような制度や慣習が歴史のなかで培われたものであることを重視するものであり
3.自由を維持することを大切にし
4.民主化を前提にしつつ、秩序ある漸進的改革をめざす

とある(p.155)。これをふまえて、

「その意味で、単に過去に価値を見出す思考がすべて保守主義と呼ばれるべきではない。(中略)変化一般に対する嫌悪や反発としての「伝統主義」とは明確に区別されなければならない。保守主義はあくまでも自由という価値を追求するものであり、民主主義を完全に否定する反動や復古主義とは異なる。保守主義は高度に自覚的な近代的思想であった。」(pp.155-156)

興味深いのは、現代日本の論客として、丸山眞男と福田恆存について、次のようにもいう。

「このような福田の議論には、実は丸山の保守主義論と通じるものがある。両者はともに、日本の歴史を貫く思想的連続性の欠如に着目し、結局のところ、明確な伝統が形成されなかったとする点で一致しているからである。」(p.163)

そして、近代史日本政治史における保守主義のながれを、伊藤博文、陸奥宗光、原敬、に見いだしていく。これをうけて、戦後日本の保守主義のながれを、吉田茂、岸信介らに屈折してうけつがれていったとする。

重要なポイントは、中公新書というシリーズにおいて、現時点(2016年6月)での刊行ということもあるのだろうが、次のように記していることである。

「いわば、戦後の保守主義は〈状況への適応〉としての側面が強く、保守すべきものの理念は曖昧なままであった。このことが、ライバルの社会主義の後退とともに、今日における保守主義の優位とその無内容化をもたらしたのである。そうだとすれば、ますます遠心化を続ける「保守主義の優位」は、保守主義にとって勝利であるという以上に、危機を意味する。」(p.189)
※〈 〉は、原文傍点。

「戦後日本の保守主義を困難なものにしているのが、敗戦と占領という経験であることは間違いない。結果として戦後日本の保守主義は、自らの政治体制を価値的なコミットメントなしに〈とりあえず〉保守するという「状況的主義的保守」か、さもなければ「押しつけ憲法」として現行秩序の正統性を否認するという「保守ならざる保守」という、不毛な両極に分解することになった。」(p.190)
※〈 〉は、原文傍点。

「もっとも重要なのが「戦後体験」の思想的反省であろう。」(p.191)

「そしてこの課題は、「戦後レジームの克服」(安倍晋三首相)が語られる今日、ますます重要なものとなっているのではないだろうか。歴史のなかに連続性を見出し、保守すべき価値を見出す保守主義の英知が今こそ求められている。」(p.191)

いわゆる右翼・左翼、保守・革新といった既存の概念にとらわれることなく、本来の意味での「保守」とは何か、そして、これからの「保守」はどうあるべきか、考えるきっかけになる本だと思う。

では、今の日本における「保守」とはいったいどのようなものになるのであるか。憲法改正などを視野にいれた議論が必要になってくる。

樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』2016-07-02

2016-07-02 當山日出夫

樋口陽一・小林節.『「憲法改正」の真実』(集英社新書).集英社.2016
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0826-a/

売れている本のようである。私がもっているのは、2016年5月29日の第5刷(3月22日、第1刷)である。

憲法をめぐっては、様々な議論があることは承知しているつもりでいる。そのなかで、この本は、改正反対の立場を強くうちだしている。しかも、その論者(著者)が、帯には「改憲派の重鎮」「護憲派の泰斗」と紹介してある。これは、一読しておく必要があるかなと思って買ってみた。

結論からいうならば、買って読んで損はない本である。この本を読んで、やはり憲法は性急に変えるべきではないと思うにしろ、そもそもの「立憲主義」というものに疑問を感じるにせよ、どのような結論を自分がもつにしても、次のような点はふまえておくべきであろう。

第一に、立憲主義の確認である。

(小林)「法律は国家の意思として国民の活動を制約するものです。しかしながら、憲法だけは違いますよね。国民が権力に対して、その力を縛るものが憲法です。憲法を守る義務は権力の側に課され、国民は権力者に憲法を守らせる側なんです。」(p.22)

第二に、憲法の来歴である。この本は、明治憲法のことからときおこして、たとえば次のように指摘してある。

(樋口)「(天皇の神聖ということについて)「神聖」というと、天皇の神権が憲法に書きこまれているではないかと感じるかもしれません。しかしながら、あれはヨーロッパの近代憲法の伝統から言うと、正常な法律用語なのです。」(p.59)

この本は、必ずしも、明治憲法の否定論の上になりたっているわけではないのである。歴史的に見て、19世紀の時点において、十分に近代的な憲法であったことを認めている。そして、歴史的経緯として、ポツダム宣言を受諾したところに成立した現在の憲法の正統性を主張する。

第三に、憲法改正というのは、歴史的・社会的条件があってのことであるという指摘。

(小林)「改正を議論するならば、どんな政治勢力が、どんな必要があって、なにをしたいために、どういう国内的・国際的条件のもとで、どこをどう変えたいのか、それを提示して議論してもらわなければならない。」(p.164)

そして以上のような点をふまえて、具体的に、自民党草案を批判していく。

(樋口)「つまり、今の憲法は「西欧かぶれの天賦人権ぶりでよろしくない」と言っている。」
(小林)「それと同時に「日本の伝統のなかには、一人ひとりが生まれながらにして権利をもっているなどという考え方はない」ことを示唆している。つまり、すべての人、一人ひとりが生まれながらにして権利をもっているという考えを、きっぱり捨てていますからね。」
(p.71)

そして、「道徳」と「憲法」は別次元のものであるとする。

以上のようなところが、私なりに読んで、基本的にこの本から読み取るべき重要なポイントかと思う。

なお、特に現在の憲法の正統性をめぐっての議論は、いろいろと批判があるかもしれない。かつて戦後において、日本がアメリカの占領下にあったとき、つまり主権がなかった、あるいは、制限されていたとき、制定された現在の憲法についての懐疑が、改憲を主張する立場としては強くいいたいところであろう。

この意味では、本書の最後の方に出てくる「憲法制定権力」を見る必要がある。

(樋口)「さて、あえて輝かしいと言いますが、憲法制定権力の輝かしい先例が、フランス革命です。目の前にある旧体制を粉砕し、一切の手続きによらずとも、憲法制定権力の持ち主である国民が選んだものが憲法になる。」(p.202)

(樋口)「つまり憲法制定権力よりも改正権限のほうが一段下なのです。それゆえ、改正権限を使って、憲法制定権力を動かすことはできず、したがって国民から主権を奪うこともできません。」(p.203)

(小林)「新しい憲法を制定するというのは、体制そのものの転換です。」(p.204)

今般の改憲論議は、憲法の改正にとどまるものなのか、それとも、「憲法制定権力」の存在にまでかかわることなのか、このあたりの議論も必要となってくるのであろう。

この本、いわゆる「八月革命論」にたっている。(p.215)

(小林)「主権国家・大日本帝国の決断として、民主主義的傾向の復活強化、人権の補強と軍国主義の除去を終戦の条件としてポツダム宣言受諾で受け入れたのです。だから、自民党の改憲マニアが繰り返す、日本国憲法無効論は間違っています。」(p.215)

ということは、「8・15革命論」を論理的に打破しなければ、憲法改正はあり得ないということになる。

そして、このような指摘もある。

(樋口)「欧米のメディアは、安倍政権の初期の段階から、あれは保守政権ではないと見抜いて、革命ナショナリスト勢力だと書いていました。日本の新聞は、いまだに保守政権として分類しているようだけれども、戦後の体制を離脱する、あるいは壊したいと言っているのだから、今の自民党は革命政党ですよ。」(p.210)

まずは、保守・革新、右翼・左翼といったことばの定義から考え直さないといけなくなるだろう。

ともあれ、本書の読後感としては、現在の憲法を変えるべきだというのであるなら、現在の国際情勢・社会状況、さらには、近現代の歴史(日本史・世界史)を、きちんとふまえたうえでの議論を展開すべきことになる。

この本を読んで感じることは、憲法というものは、立憲主義を基本におくとしても、そのうえで、憲法は、あくまでも、歴史的・社会的に構成されているものである、という考えである。憲法改正の是非はともかく、このような視点の持ち方だけは、確かなものとして理解しておかなければならないと思う。さらには、保守・革新といった概念の再検討も必要になってくる。

CiNiiで失うもの2016-07-03

2016-07-03 當山日出夫

あえてこういってみる。CiNiiで失うものがあるのではないか、と。

CiNii
http://ci.nii.ac.jp/

確かにCiNiiは便利である。ある意味では、勉強のあり方を根本的に変えてしまったとさえいえるかもしれない。しかし、だからこそ、それと同時に起こっている問題点も見逃すべきではないと考える。

参考文献リストの書き方である。

昔、私が学生のころであれば……なにかの課題について調べるとき、図書館でカードを繰って、そのテーマについて書かれた研究書をさがす。その本を見て、巻末についてい参考文献リストから、さらに本・論文をさがす。さらに、その本・論文の参考文献リストから、次の本・論文をさがす……このような方式で探したものである。(こんなことは、書くまでもないと思えることでもあるのだが、確認のため記しておく。)

このような方式で本・論文を探していくと、自分が見ている本・論文が、参考文献リストで、どのような書式やスタイルで書かれるか、実体験することになる。そして、このような過程を通じて、参考文献リストの書き方というのを、なんとなく、身につけていくことになった。

これで完全に身につくというわけではなく、やはり最終的には、自分でまとまった論文を書いたり、学会発表をしたりするときに、ある一定の方式で書くということを確認することにはなる。

しかし、CiNiiを使って論文を検索してしまう今の時代だと、上述のような体験……図書館で本を順繰りに探していく……を、学生はもつことができないですんでしまう。これはこれで、確かに便利になったことではある。だが、便利になったおかげで、参考文献リストの書き方を身につける機会をなくしているともいえる。

こう考えてみるならば、これからの大学教育において次のようなことは必要であろう。二つ考えてみる。

第一に、なるべく早い時期からの、アカデミック・ライティング教育。その中での、参考文献リストの書き方の指導である。これは、専攻分野によってちがう。日本史や日本文学などと、言語学や日本語学、さらには、心理学などで、それぞれのスタイルがある。これについて、違いがあることを前提として、その専攻分野での基本を教える必要がある。

第二に、CiNiiや図書館のオンライン検索の結果から、どのように参考文献リストを書くかのトレーニングである。検索結果を、そのままコピーしたのでは、参考文献リストにならない。スタイルをその専攻の方式にととのえて、さらに、並べてやる必要がある。並べる順番は、著者名順(あいうえお順・ローマ字順がある)、同一著者については、その中を刊行年順にする。

この並べ替え、参考文献リストの整理などには、エクセルを使うのが適当だろう。文学や歴史の勉強などで、表計算機能としてのエクセルを使うことはないかもしれないが、参考文献リストの整理には、非常に役にたつ。このような場面で、エクセルの操作に慣れ親しむというのも、ひとつのあり方だと思っている。

以上の二つのことを、これから考えていかなければならないだろう。

私は、CiNiiの悪口を言おうとしているのではない。その便利さを十分にみとめつつ、それをさらに活用する、新しいアカデミック・ライティング教育の方向を考えてみたいのである。

さらにいうならば、論文の評価、という観点もある。CiNiiでは、論文の評価とは無関係に、特定のキーワードでヒットする論文が、網羅的に検索できる。研究の中身を読んで、吟味して、というプロセスがない。このことの問題はあるが、ここでは、あえて特にいわなことにしておく。

また、東洋学における目録学・書誌学のように、学問の基礎にそれをおくものもある。このような立場からは、本がデジタルで検索できればそれでよい、というわけにはいかない。

世の中で、なにがしか便利になることはある。便利になったとき、その便利さのなかに安住することなく、それで、何が変わったのか、あるいは、失ってしまったものがあるのではないか、反省してみる視点を自らのうちに持つ必要があるだろう。

特にデジタルの時代になって、世の中のいろんな仕組みが大きくかわろうとしている。そこで、あえて立ち止まって考えてみる余裕と、新しいものを積極的に利活用していくこと、この両方が求められていると考える次第である。

国を国旗であらわしていいか(その二)2016-07-04

2016-7-04 當山日出夫

すでに書いたことである。
やまもも書斎記:国を国旗であらわしていいか
2016年6月29日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/29/8120547

このつづきを書いてみようと思う。

なぜ、国を国旗で表象することに、違和感を感じるのであろうか。一般にテレビのニュース、スポーツの国際大会などでは、ごく普通に行われていることである。だが、それが、大学の教室にもちこまれると、なにか居心地の悪いような感じがどうしてもしてしまうのである。

たぶん、それは、国旗で表象するという行為のもつ、ある種の排他的性格に起因するのではないかと思う。国旗は国のシンボルである。そこには、統合の求心力がある。

しかし、それは、同時に、その国旗を受け入れることをいさぎよしとしないものを、排除・疎外するものでもある。

国旗には、このような二面性があるいってよいだろうと思う。強いていうならば、国旗を提示することは、「踏み絵」をつきつけるような行為に通底するものがある……と、私は感じるのである。そして、これは、一般社会はともかく、「大学」の教室という場所では、あまりふさわしい行為とはいえない、そのように私は感じる。

私自身は、日本国民として、日章旗を、我が国の国旗として認める立場をとる。ナショナリズムといってもよい。そのことに自覚的であるつもりでいる。

しかし、同時に、そのナショナリズムが、排他的なものであってはならないとも考える。あるいは、国旗を「踏み絵」のようにつかってはならないといってもよいであろう。

国旗をつかってよいのは、やはり場所を選ぶ。それは、国家(国民国家)を表すものとして、それが使われるときである。公的な外交の場面、国を単位とした国際的な行事の場面などでは、国のシンボルとして問題はない。

だが、そのようなものに対して、意識的/無意識的に距離をおこうとしているのが、「大学」という場所である。少なくとも、日本の今の「大学」は、そのような傾向が強いと感じる。いくらグローバリズムがいわれていようとも、いや、だからこそというべきか、国旗をもちこんだときに生じるある種の暴力的な排他的性格に、敏感である。「国」という単位ではとらえることのできない、各種の多様性……民族・言語・宗教・文化……といったものの多様性を尊重する場所であるといってもよい。このような場所に、やはり国旗はふさわしくないと感じてしまう。

だいたい以上のように、現時点では考えている。

山内昌之『歴史という武器』2016-07-05

2016-07-05 當山日出夫

山内昌之.『歴史という武器』(文春文庫).文藝春秋.2016(原著、文藝春秋.2013 文庫化にあたって加筆・追加などあり)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167906429

筆者はいうまでもなく、現代イスラーム政治・歴史の専門家。この本は、主に産経新聞などに書いた、短い論説文を編集したもの。産経新聞に書いているということは、多少なりとも配慮して読む必要はあるかと思うが、いろいろ考えるところの多い本である。

「はじめに」として、「ビジネスパーソンが歴史を学ぶ意味-「思考の軸」となる歴史観を持て-」には、次のようにある、

「歴史を学ぶ意味を英語で表すとすれば、”Back to the Future”に尽きます。(中略)われわれは過去を歴史として学ぶわけですが、過去を振り返ったときそこに見えてくる知恵や様々な教訓とは、まさに現代に活かされ、未来につながっていく手がかりとしてあるのです。/そして、歴史を学ぶことで、知的活動領域が無限に拡大していきます。」(p.11)

ここまでは、歴史の重要性として特に目新しいことではない。本書の面目は次のようなところにあると、私は読む。「ビジネスパーソン」に読むべきとして、具体的に筆者があげている「歴史書」は、次のようなものである。

『史記』(司馬遷)
『大勢三転考』(伊達千広=陸奥宗光の父親)
『読史余論』(新井白石)
『神皇正統記』(北畠親房)
『平家物語』
『春秋左氏伝』
『貞観政要』
『吾妻鏡』

そして、こう付け加える……「歴史書と歴史小説は違うのです」(p.21)

「歴史小説」、たぶん言わんとするところは、司馬遼太郎を読んで、歴史をわかったような気になってはダメですよということであると理解する。

ところで、一般の日本史・東洋史の専門家でも、これらの本をきちんと読んでいるという「研究者」はたぶんすくないのではないか。

なお、私としては、上記の本に加えて、『文明論之概略』(福澤諭吉)をいれておきたい気持ちがある。

次のような箇所は、なるほどと思って読んだ。

「中国はあまりものごとを考えていないように見えて、実は、非常に長い射程で歴史を捉え戦略的思考をする国なのです。鄧小平は尖閣諸島の問題について「今の世代で解決するのは難しいだろうから、後世にいい知恵が出るまで待とう」と言って、日本側に譲ったとされています。しかし、それは違う。中国は尖閣に関する権利を留保しつつ時間を稼ぎ、将来自分たちに有利な状況になった時に日本を交渉のテーブルに着かせることを狙っていると解釈すべきです。」(pp.23-24)

「歴史認識」については、

「つまり、歴史があって歴史認識が存在するのではなく、歴史認識があって初めて「歴史」が存在するという関係なのだ。」(p.37)

次の指摘は、人によって評価がわかれるかもしれない。

「右傾化やナショナリズムというレッテル貼りは、自分の主張が通らず相手を攻めあぐねてているときに自己主張に自信が持てない国や人びとが言うことである。日本は政府も良識ある市民も、ことさらに中国の”侵略膨張化””夜郎自大”とか韓国の”左傾化””事大主義”などとレッテルを貼らないだけなのだ。」(p.312)

ともあれ、「レッテル貼り」ではない、自覚的な「保守」「リベラル」というものが、いずれの立場にたつにせよ、今は求められていることはたしかだろうと思う。そして、それは、「歴史」に学ぶものでなければならない。

追記 2016-12-23
ここにあげたような歴史学の書物について、さらに解説したものとして、『歴史学の名著30』(ちくま新書)がある。

やまもも書斎記 2016年12月23日
山内昌之『歴史学の名著30』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/23/8286305

呉座勇一『一揆の原理』2016-07-06

2016-07-06 當山日出夫

呉座勇一.『一揆の原理』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.2015(原著は、洋泉社.2012)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480096975/

「文庫版あとがき」にこのようにある。

「戦後歴史学の著作は今や先行研究である以上に、「戦後」を知るための”史料”になりつつある。半世紀前の研究論文が現在の研究水準から見て不十分なのは当然で、そこをあげつらっても仕方がない。この研究者はなぜ、このような主張を展開したのか、という点こそを追求すべきである。中世史の研究者といえども、当時の政治・社会状況とは無関係ではいられない。史料を淡々と読んで、その成果をまとめたわけではなく、安保闘争やベトナム反戦運動、文化大革命などに触発されて論文を書いていた。つまり、彼らの論文には現実の政治・社会に対する問題意識が反映されているのだ。私は、昔の論文の中味以上に、その背景にある研究者の社会観に関心を持っている。」(p.249)

このような自覚のもとに、この文庫本は出ている。もとの本が出たのは2012年である。2011年の東日本大震災をうけて、そのときの政治・社会状況についての問題意識を色濃く反映したものになっている。しかし、筆者は、あえてそれをそのまま残して文庫化している。

まず、この本は、「竹槍一揆の歴史は十年間」からはじまる。

「皆さんは「一揆」と聞くと、どのようなものをイメージするだろうか。私が高校時代の同級生などに尋ねると、たいていは「農民が竹槍を持って悪代官を襲う」といった答えが返ってくる。おそらく、この漫画『カムイ伝』(白土三平著)的なイメージが一般的な一揆認識だろう。」(p.26)

「ところが、竹槍で戦う一揆が登場するのは、実は明治になってからのことなのである。」(p.26)

として、「一揆」の実態を、中世にもとめて、この本はすすんでいく。中世の一揆についての分析をふまえたうえで、著者は、このように記している。

「交換型一揆契状によって結成された一揆の、秘密同盟的な性質を見てきた。突飛な発想に思えるかもしれないが、このタイプの一揆が生み出す「人のつながり」は、現代のSNSが生み出す「人のつながり」に似通っていないだろうか。」(p.187)

「全体に公開するのではなく、相互認証に基づく特定の相手との信頼関係の醸成に重点を置く。一対一の人間関係の連鎖として大きな連帯の輪を広げる。フェイスブックをはじめとするSNSによって創り出された「人のつながり」は、非常に先進的な、二十一世紀的なあり方に映る。技術的にはその通りだと思うが、思想的には〈交換型一揆契状〉によって結成された日本中世の一揆の延長上に捉えることができるのではないか。」(pp.189-190)

「一揆の本質が偉大な革命運動ではなく等身大の「人のつながり」にあると知ることは、「ポスト3・11」を展望する上でも有益だと思う。他者への共感を欠いた頭でっかちの革命理論では、社会を変革することなどできない。」(p.192)

「(脱原発)デモがイマイチ盛り上がらない理由は色々と考えられるが、その一つとして、脱原発デモも戦後日本の諸々のデモと同様に、結局は「百姓一揆」の域を出ていない、ということが挙げられるだろう。/(中略)百姓一揆とは、「武士は百姓の生活がきちんと成り立つようによい政治を行う義務がある」という「御百姓意識」に基づく待遇改善要求であるから、既存の社会秩序を否定するものではない。(中略)つまり百姓は”お客様”感覚で、幕府や藩といった「お上」のサービスの悪さにクレームをつけているだけなのだ。」(p.226)

「さらに言えば、デモ(強訴)という形式そのものが、現代の日本社会において有効性を失いつつあるのではないか。前近代の日本社会や現代の独裁国家においては、民意を政治に反映させる仕組みが他にないため、デモにもそれなりの意義がある。だが投票どころか選挙に立候補することさえ可能な現代の日本では、おのずとデモの効用は限定されざるを得ない。/現代の日本で革命や大規模デモが発生する可能性は極めて低く、万が一発生したところで、それによって財政問題や貧困問題などの諸々の社会問題がたちどころに解決するとも思えない。」(pp.227-228)

以上、引用が長くなったが、このようなこの本における筆者の意見には、賛否あるだろう。だが、最初の引用(文庫版あとがき)でしめしたように、歴史学の研究成果も、また、歴史的産物であるという意味においては、2011年以降のある時期の発言として、歴史に残る意義はあるであろう。

本書は、一揆についてのすぐれた研究書であると思うが、それ以上に、歴史学とは何であるか、歴史を書くとはどういうことか、を考えるきっかけになる本であると思う。

佐々木俊尚『21世紀の自由論』2016-07-07

2016-07-07 當山日出夫

佐々木俊尚.『21世紀の自由論-「優しいリアリズム」の時代へ-』(NHK出版新書).NHK出版.2015
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000884592015.html

現代日本の政治社会状況の分析と、それに対しての対応を考えてある本である。どちらかといえば、保守的な立ち位置からの本として私は読んだ。

まず、現代の日本はどうかというと、「リベラル」への批判として、

「勧善懲悪では、市民やメディアが一方的な善になってしまい、しかしその善であるという思想的な背景は何もないからだ。単に反権力であるということでしか担保されていないのである。では反権力の側が政権を握り、責任を負ったらどうなるのか? ということは誰も考えなかった。(中略)うっかり反権力が政権をとってしまって何もないことが露呈してしまったのが、二〇〇九年以降の民主党政権だったといえるだろう。」(pp.19-20)

保守にも、問題はある。問題点として、二つ指摘してある。

第一に、「これらの保守的な主張が求める伝統や歴史というものが、実のところそれほどの根拠はないということだ。」(p.74)

第二に、「「親米保守」というジレンマ」(p.82)として、「しかし、「親米」は、大きなジレンマを抱え込むことになる。それはアメリカの追い求める理念と、日本の保守の考える社会はまったく方向が異なるということだ。」(p.83)

そのうえで、次のように指摘する、

「不思議なのは、このように「歴史と伝統」を標榜する保守が「親米」に引きずられてグローバリゼーションを受け入れる傾向があるのに対し、日本の「リベラル」はグローバリゼーションに反対しているという逆転があることだ。いったいどちらが「歴史と伝統」を大切にしているのか、もはやわからない状況である。」(pp.89-90)

「さらに、従来の保守派の中から親米保守に疑問を抱く層が、「反米保守」というような自主独立派を構成する流れも起きている。」(p.100)

そして、保守と「リベラル」について、次のように指摘するのは、これは、「永続敗戦論」(白井聡)にも通じると判断する。

「五十五年体制を基盤とした旧来の対立軸は有効性を失ったが、メディアの空間ではまださまざまな神話が生き続けている。」(p.103)

このあたりの分析は、妥当なものだと思う。問題は、ではどうするか、である。筆者は、次のようにのべる。

「国民国家の領域を超越して、少数精鋭でつくられるグローバル企業と、それらグローバル企業が展開する生産や消費、サービスなどのさまざまなプラットフォーム。そしてその上で流動的に生きる個人という三位一体が、次の時代には世界の要素として成立していくことになるだろう。」(p.165)

そして、「優しいリアリズム」がこれからは必要だとする。これをささえるのは「ネットワーク共同体」にささえられるものであり、最終的には「なめらかな社会」を生み出していくであろうと、筆者は論じている。

このあたりの議論(長期的な展望)になると、多少の疑問がないではない。旧来の文化・民族・言語・宗教といったものによる共同体は、いったいどうなっていくのか、あまり明確な議論として提示されていないからである。多少、ユートピアを夢見ているような印象さえ感じないではない。

しかし、次のような指摘は重要だろう。中期的な展望としてであるが、

「日本は単独で中国と向き合うべきではなく、アメリカや東南アジア諸国と軍事的な連携を強めておく必要がある。だから集団的自衛権を容認し、備えをしておくのは当然のことだ。軍事大国になる必要はないが、軍事力は重要だ。これは中国を敵視するというようなことではなく、偶発的な戦争を恐れた上でのリアルな戦略である。軍事的な均衡が平和のいしずえとななるという考え方が大切だ。」(pp.173-174)

ネットワークの発達によって、将来、どのような社会が到来するかは別にしても、現実的な中期的な戦略としては、上記のようなことが、もっとも現実的なところかと思われる。

ところで、ネットワーク社会についての筆者の見解を読んでいると、興味深いものがあった。それについては、改めて書いてみたい。

松沢裕作『自由民権運動』2016-07-08

2016-07-08 當山日出夫

松沢裕作.『自由民権運動-〈デモクラシー〉の夢と挫折-』(岩波新書).岩波書店.2016
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/43/X/4316090.html

私の読後感をいえば、自由民権運動に限った話しというよりも、むしろ、近世から近代にいたるまでの社会の基本的構造の変化の歴史、というように理解した。

まず、著者は、明治以前(江戸時代)の社会をつぎのようにしるす。

「「士農工商」が、三角形のヒエラルヒーでイメージされるとすれば、筆者のいう身分制とは、人間が、いくつかの「袋」にまとめられ、その「袋」の積み重ねによって一つの社会ができあがっているというようなイメージである。」(p.24)

そして、明治維新は、かつての「袋」のような身分制を破壊したあとのポスト身分制を模索することになる。

「身分制社会において、政治は統治者たる武士身分の職業であった。百姓や町人はこれにかかわらない。民撰議員設立建白書が主張するのは、身分制社会の解体後において、統治の正統性は社会の構成員一人ひとりの政治参加によって支えられなければならないという原理である。民撰議員設立建白書は、ポスト身分制社会の原理を提示したマニフェストであった。」(p.41)

明治11年の、郡区町村編制法・地方税規則・府県会規則、について、

「三新法はそうした「袋」をやぶり、府県の住民全体に共通の利害を議論する場として、府県住民の代表である府県会議員があつまる府県会を設置した。」(p.141)

そして、

「そして移行期が終わり、近代社会の形が定まったとき、自由民権運動は終わる。一八八四(明治一七)年秋、展望を失った自由党が解党し、秩父の農民の解放幻想が軍隊の投入によって打ち砕かれたとき、自由民権運動は終わった。」(p.204)

だいたい以上が、ポスト身分社会をむかえての自由明家運動の概要ということになるのだろう。

ところで、この本も、また歴史の産物である。このことについては、すでにふれた。

やまもも書斎記 2016年7月6日
呉座勇一『一揆の原理』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/06/8126224

「おわりに」のつぎのような箇所。

東日本大震災後の反原発デモ、特定秘密保護法反対運動、安保法制反対運動、このような社会の動きをうけて本書も書かれている。

「しかし、そうした運動にかかわる人びとの議論のなかで、なんとも後味の悪い応酬を、主としてネット上で目にすることが一再ならずあった。運動のなかには、運動内部でしか通用しない論理をふりかざし、運動内部と外部を切断してしまうような言辞を吐く人びとがいるように思われた。本来、そうした運動にシンパシーを持っていてもいいような人びとを遠ざけ、むしろ運動の潜勢力を失わせているように見えた。そうした現在進行形の運動のあり方が、自由民権運動の敗走の過程と重なって見えなかった、といったら嘘になる。」(p.215)

それは、たとえば、本書の次のような記述にも反映されていると思う。

「激しい言葉で政府を批判する弁士、悪役としての警官、両者の激突と会場の混乱。聴衆にとって演説会は一種の痛快な見世物であり、参加者は必ずしもそこで説かれる政治構想の理屈を理解していたわけではなかったのである。」(p.91)

このような記述を、先の安全保障法制反対における、国会前デモの風景に重ね合わせて読んでしまうとしても、それは、それで、現代の読者としてのこの本の読み方であると思う。

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』憲法とE・H・カーのこと2016-07-09

2016-07-09 當山日出夫
2016-07-11 追記
この続きは、
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』松岡洋右のこと
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/10/8128707

加藤陽子.『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫).新潮社.2016(原著は、朝日出版社.2009)
http://www.shinchosha.co.jp/book/120496/

この本、最初に出たときに買って通読はしてあったのだが、こんど文庫版で出たので、新しく買って再読してみることにした。

日本の近現代史、特に戦争については、また、改めて書いておきたいと思うので、とりあえず読み始めて気のついた箇所についてふれておきたい。二つのことをまずのべてみたい。

第一は、憲法についてである。

「戦争のもたらす、いま一つの根源的な作用という問題は、フランスの思想家・ルソーが考え抜いた問題でした。」(p.49)

として、

「(ルソーは)相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味で憲法と呼んでいるものです)、これに変容を迫るものこそが戦争だ、といったのです。/相手国の社会の基本を成り立たせる秩序=憲法にまで手を突っ込んで、それを書きかえるのが戦争だ、と。」(p.51)

とある。つまり、この見解にしたがうならば、現在の日本の憲法があるのは、アメリカと戦って敗れたことに起因するのであり、それをどうにかしよう(たとえば改憲)とするならば、まず、アメリカのとの関係が問題になる。これは、歴史的に太平洋戦争(アメリカの呼称として)をどう歴史的に位置づけるか、そして、現在、それから将来にわたって、アメリカとどのような関係であるのかについての考察、再検討を要する、ということになる。

憲法改正というのは、国内問題だけのことではないのである。その制定のみなもとになった、アメリカとの関係を考慮することなしには、すすむことができない。

この意味では、現在の日本の改憲をめぐる議論は、対米独立保守、という立場になるのだろう。しかし、それにしても、私の目には、歴史的経緯をふまえたうえでの対米独立ということへの自覚に乏しいようにおもえてならない。

第二に、『歴史とは何か』(E・H・カー、岩波新書)についての言及である。

この本については、このブログですでにふれたことがある。
やまもも書斎記 2016年6月4日
E・H・カー『歴史とは何か』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/04/8102011

「歴史とは現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」(p.59)

と引用したあとで、つぎのようにある。カーは、「歴史は科学だ」としたうえで、つぎのようにいったとある。

「歴史家が本当に関心を持つのは特殊なものではなく、特殊的なものの内部にある一般的なものだ。」(p.72)

「歴史は教訓を与える。もしくは歴史上の登場人物の個性や、ある特殊な事件は、その次に起こる事件になにかしらの影響を与えていると。」(p.74)

そして、カーは、第二次大戦についてつぎのようにのべている。

「イギリスは、(国際)連盟の権威をバックにして、単なる言葉や理論によってドイツ、イタリア、日本を抑止できると考えるべきではなかった」(p.68)

「軍事力の裏づけなし現状維持国が現状打破国を抑えることなどできなかったのだと。」(p.68)

そして、カーはイギリスにおいては、あまり受けが悪い歴史家であるとも、筆者は書いている。このような事情……カーが歴史家としてどのような立場をとり、どのような研究を発表していたのか……を、ふまえておくことは、『歴史とは何か』を、理解するうえで重要なことだろう。

以上の二点が、この本を読み始めて、気のついた箇所である。昔、出て読んだときには、読み過ごしていた箇所であるが、今の時点で読み返すと、なかなか含蓄の深い指摘であると思う。特に、カーへの言及は、この本において非常に重要な意味をもっている。そのことに再読して気づいた次第である。

この本『それでも……』における日本近現代史の描き方については、また改めて述べてみたい。

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』松岡洋右のこと2016-07-10

2016-07-10 當山日出夫

つづきである。
やまもも書斎記 2016年07月09日
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』憲法とE・H・カーのこと
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/09/8127772

加藤陽子.『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫).新潮社.2016(原著は、朝日出版社.2009)
http://www.shinchosha.co.jp/book/120496/

この本の歴史を描いた部分については、すでにいろんな方面からコメントがあると思うので、読んで私の興味関心からちょっと気になった点をすこし。松岡洋右についての記述で、興味深いところがあった。これについて書いてみたい。二ヶ所ある。

第一は、つぎの箇所。

「三三年三月、日本は国際連盟を脱退しますが、連盟の議場で日本の全権の松岡洋右が、いったいなにを議論していたかというと、ポーツマス条約で日本がロシアから獲得した権益はこれこれであり、中国側が日本に認めた権益の内容はこれこれであるから、満州の権益をめぐっては中国側がまちがっていて、日本側が正しいのだ、という議論だったのです。」(p.176)

これは、日露戦争について語った箇所である。国際連盟脱退のとき、松岡洋右の演説の様子などは、映像などで目にする機会が多いのだが、いったい何をいっていたのか、この箇所は、明らかにしてくれている。だから、日本は正しかったのだ、と私はいうつもりはない。しかし、満州事変の背景として、日露戦争からときおこす、このような歴史の射程のおきかたは、勉強になるところである。

そして、これは、日本近代史において、あまりに専門分化がすすんでしまった結果として、今では、むしろ見えにくくなっている点かとも思う。高校生にはなすというスタイルだからこそ、このような視点を持ち得たのかもしれない。

第二は、対支二十一ヵ条要求についての箇所。

松岡は、次のような手紙を書いている。一九年七月。

「いわゆる二十一ヵ条要求は論弁を費やすほど不利なり。(中略)他人も強盗を働けることありとて自己の所為の必ずしも咎むべからざるを主張せんとするは畢竟窮余の辞なり。」(p.267)

これを加藤陽子は、「そもそも山東問題は二十一ヵ条要求と分離して論ずることなどできない。日本側が弁明するのは無駄なことだ。日本の弁明は、しょせん、泥棒したのは自分だけではないといって自分の罪を免責しようとする弁明にすぎず説得的ではない。」(p.267)と解説している。

後年、連盟脱退のときとは違って、ここでは至極冷静に日本の国益を見ている松岡洋右がある。

ところで、この論理、日本の近代史、特に、戦争責任をめぐってよく目にする論法である。悪いのは、日本だけではない。欧米列強だって、アジアを植民地にしていたではないか、云々。

この論理に対して、松岡洋右自身がかつて、悪いものは悪いとみとめるしかないと冷静に分析していたのは、印象的である。そして、いうまでもないが、現在の日本は、この時点で松岡洋右がしめした冷静さを保っているとはいいがたいといえるであろう。いわく、東京裁判におけるパル判決には……という論法である。

これについては、また、改めて書くことにする。

なお、対支二十一ヵ条要求については、松本健一も、失策であったと判断している。

松本健一.『日本の失敗-「第二の開国」と「大東亜戦争」-』(岩波現代文庫).岩波書店.2006(原著 東洋経済新報社.1998)
https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-603134-3

以上の二ヶ所が、『それでも……』で、松岡洋右について、気になったところである。やはり、松岡洋右という人物は、日本近代史を論じるとき、注意してみなければならないひとりであると思われる。

ここは、加藤陽子著の『松岡洋右』が読みたいのであるといっておく。