宇野重規『保守主義とは何か』2016-07-01

2016-07-01 當山日出夫

宇野重規.『保守主義とは何か-反フランス革命から現代日本まで-』(中公新書).中央公論新社.2016
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/06/102378.html

著者は、自らのことを保守主義者ではないとしている。そのうえで、政治思想としての保守主義のながれを、欧米、そして日本とたどっている。保守主義がどのような歴史的背景のもとに成立したか、その主張はどこにあるのか、よくまとめてある本である、という印象。

第4章「日本の保守主義」を見てみる。

「バークを基準にとるならば」として、保守主義の要点を次のように整理してある。

1.具体的な制度や慣習を保守し
2.そのような制度や慣習が歴史のなかで培われたものであることを重視するものであり
3.自由を維持することを大切にし
4.民主化を前提にしつつ、秩序ある漸進的改革をめざす

とある(p.155)。これをふまえて、

「その意味で、単に過去に価値を見出す思考がすべて保守主義と呼ばれるべきではない。(中略)変化一般に対する嫌悪や反発としての「伝統主義」とは明確に区別されなければならない。保守主義はあくまでも自由という価値を追求するものであり、民主主義を完全に否定する反動や復古主義とは異なる。保守主義は高度に自覚的な近代的思想であった。」(pp.155-156)

興味深いのは、現代日本の論客として、丸山眞男と福田恆存について、次のようにもいう。

「このような福田の議論には、実は丸山の保守主義論と通じるものがある。両者はともに、日本の歴史を貫く思想的連続性の欠如に着目し、結局のところ、明確な伝統が形成されなかったとする点で一致しているからである。」(p.163)

そして、近代史日本政治史における保守主義のながれを、伊藤博文、陸奥宗光、原敬、に見いだしていく。これをうけて、戦後日本の保守主義のながれを、吉田茂、岸信介らに屈折してうけつがれていったとする。

重要なポイントは、中公新書というシリーズにおいて、現時点(2016年6月)での刊行ということもあるのだろうが、次のように記していることである。

「いわば、戦後の保守主義は〈状況への適応〉としての側面が強く、保守すべきものの理念は曖昧なままであった。このことが、ライバルの社会主義の後退とともに、今日における保守主義の優位とその無内容化をもたらしたのである。そうだとすれば、ますます遠心化を続ける「保守主義の優位」は、保守主義にとって勝利であるという以上に、危機を意味する。」(p.189)
※〈 〉は、原文傍点。

「戦後日本の保守主義を困難なものにしているのが、敗戦と占領という経験であることは間違いない。結果として戦後日本の保守主義は、自らの政治体制を価値的なコミットメントなしに〈とりあえず〉保守するという「状況的主義的保守」か、さもなければ「押しつけ憲法」として現行秩序の正統性を否認するという「保守ならざる保守」という、不毛な両極に分解することになった。」(p.190)
※〈 〉は、原文傍点。

「もっとも重要なのが「戦後体験」の思想的反省であろう。」(p.191)

「そしてこの課題は、「戦後レジームの克服」(安倍晋三首相)が語られる今日、ますます重要なものとなっているのではないだろうか。歴史のなかに連続性を見出し、保守すべき価値を見出す保守主義の英知が今こそ求められている。」(p.191)

いわゆる右翼・左翼、保守・革新といった既存の概念にとらわれることなく、本来の意味での「保守」とは何か、そして、これからの「保守」はどうあるべきか、考えるきっかけになる本だと思う。

では、今の日本における「保守」とはいったいどのようなものになるのであるか。憲法改正などを視野にいれた議論が必要になってくる。