呉座勇一『一揆の原理』2016-07-06

2016-07-06 當山日出夫

呉座勇一.『一揆の原理』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.2015(原著は、洋泉社.2012)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480096975/

「文庫版あとがき」にこのようにある。

「戦後歴史学の著作は今や先行研究である以上に、「戦後」を知るための”史料”になりつつある。半世紀前の研究論文が現在の研究水準から見て不十分なのは当然で、そこをあげつらっても仕方がない。この研究者はなぜ、このような主張を展開したのか、という点こそを追求すべきである。中世史の研究者といえども、当時の政治・社会状況とは無関係ではいられない。史料を淡々と読んで、その成果をまとめたわけではなく、安保闘争やベトナム反戦運動、文化大革命などに触発されて論文を書いていた。つまり、彼らの論文には現実の政治・社会に対する問題意識が反映されているのだ。私は、昔の論文の中味以上に、その背景にある研究者の社会観に関心を持っている。」(p.249)

このような自覚のもとに、この文庫本は出ている。もとの本が出たのは2012年である。2011年の東日本大震災をうけて、そのときの政治・社会状況についての問題意識を色濃く反映したものになっている。しかし、筆者は、あえてそれをそのまま残して文庫化している。

まず、この本は、「竹槍一揆の歴史は十年間」からはじまる。

「皆さんは「一揆」と聞くと、どのようなものをイメージするだろうか。私が高校時代の同級生などに尋ねると、たいていは「農民が竹槍を持って悪代官を襲う」といった答えが返ってくる。おそらく、この漫画『カムイ伝』(白土三平著)的なイメージが一般的な一揆認識だろう。」(p.26)

「ところが、竹槍で戦う一揆が登場するのは、実は明治になってからのことなのである。」(p.26)

として、「一揆」の実態を、中世にもとめて、この本はすすんでいく。中世の一揆についての分析をふまえたうえで、著者は、このように記している。

「交換型一揆契状によって結成された一揆の、秘密同盟的な性質を見てきた。突飛な発想に思えるかもしれないが、このタイプの一揆が生み出す「人のつながり」は、現代のSNSが生み出す「人のつながり」に似通っていないだろうか。」(p.187)

「全体に公開するのではなく、相互認証に基づく特定の相手との信頼関係の醸成に重点を置く。一対一の人間関係の連鎖として大きな連帯の輪を広げる。フェイスブックをはじめとするSNSによって創り出された「人のつながり」は、非常に先進的な、二十一世紀的なあり方に映る。技術的にはその通りだと思うが、思想的には〈交換型一揆契状〉によって結成された日本中世の一揆の延長上に捉えることができるのではないか。」(pp.189-190)

「一揆の本質が偉大な革命運動ではなく等身大の「人のつながり」にあると知ることは、「ポスト3・11」を展望する上でも有益だと思う。他者への共感を欠いた頭でっかちの革命理論では、社会を変革することなどできない。」(p.192)

「(脱原発)デモがイマイチ盛り上がらない理由は色々と考えられるが、その一つとして、脱原発デモも戦後日本の諸々のデモと同様に、結局は「百姓一揆」の域を出ていない、ということが挙げられるだろう。/(中略)百姓一揆とは、「武士は百姓の生活がきちんと成り立つようによい政治を行う義務がある」という「御百姓意識」に基づく待遇改善要求であるから、既存の社会秩序を否定するものではない。(中略)つまり百姓は”お客様”感覚で、幕府や藩といった「お上」のサービスの悪さにクレームをつけているだけなのだ。」(p.226)

「さらに言えば、デモ(強訴)という形式そのものが、現代の日本社会において有効性を失いつつあるのではないか。前近代の日本社会や現代の独裁国家においては、民意を政治に反映させる仕組みが他にないため、デモにもそれなりの意義がある。だが投票どころか選挙に立候補することさえ可能な現代の日本では、おのずとデモの効用は限定されざるを得ない。/現代の日本で革命や大規模デモが発生する可能性は極めて低く、万が一発生したところで、それによって財政問題や貧困問題などの諸々の社会問題がたちどころに解決するとも思えない。」(pp.227-228)

以上、引用が長くなったが、このようなこの本における筆者の意見には、賛否あるだろう。だが、最初の引用(文庫版あとがき)でしめしたように、歴史学の研究成果も、また、歴史的産物であるという意味においては、2011年以降のある時期の発言として、歴史に残る意義はあるであろう。

本書は、一揆についてのすぐれた研究書であると思うが、それ以上に、歴史学とは何であるか、歴史を書くとはどういうことか、を考えるきっかけになる本であると思う。