「真田丸」における忠誠心2016-07-29

2016-07-29 當山日出夫

NHKの今年の大河ドラマ『真田丸』については、すこし言及したことがある。

やまもも書斎記 2016年6月1日
『真田丸』におけるパトリオティズム
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/01/8100101

ここでは、真田丸の登場人物のエトスはなんであろうか、ということを考えてみた。これまで、見てきていると、様々な理念・行動の原理が共存しているようである。

領土ナショナリズム
愛郷心(パトリオティズム)
家(真田家)の一員であり、それをまもるという意識。
などである。

主人公(真田信繁)は、いったい何のために戦うことになるのか、についてちょっと考えてみた。故郷(真田の郷)に対する、パトリオティズム(愛郷心)というものがあるかどうか。

それが、ここに来て、別の展開になりそうである。

7月24日(日)の放送。最後のシーンで、兄(信幸)は、こんなことを言っていた……自分は、真田の家をまもるため、徳川のもとで戦う、と。

もちろん、これは、将来、兄弟が敵味方(豊臣側と徳川側)に分かれて戦うことになることの伏線として描かれているはずである。では、一方の弟(信繁)は、何のために戦うのであろうか。

たぶん、これまでのドラマの描き方からするならば、豊臣家に対する忠誠心ということになりそうである。信繁は、真田家の人間ではあるが、ドラマの現時点では、豊臣の家臣のようなあつかいになっている。このまま進行するならば、信繁は、自分が仕える豊臣家のために、それへの忠誠心のために戦う、それがたとえ、兄弟で敵味方になるとしても、ということになるのだろう。

ドラマの舞台が、大阪、それから伏見、聚楽第、にうつってからというもの、真田の郷、……いや、現時点では、上田城が本拠地になるのか……について、それを「故郷」として描くような場面は無くなってきている。かすかに、自分の領土に対するナショナリズムとでもいうべきものは出てくるが。たとえば、沼田城。

ところで、生き残ることになるはずの兄(信幸)は、徳川への忠誠心があったのだろうか。今の、ドラマの描き方では、どうもそうは思えない。徳川との縁組みを機縁として、徳川の配下にあるという意識はあるようだが、それを徳川家に対する忠誠心とまでは、いいきれないように思われる。真田の家をまもるために、手段として、徳川につくという選択をしている。

この時代(戦国時代から安土桃山時代)の武士のエトスは何なのだろうか。自分の領土を安堵してもらうためのナショナリズムでああろうか。それとも、自分の故郷に対するパトリオティズムであろうか。あるいは、主従関係における忠誠心なのであろうか。

結局、主従関係における「忠誠心」を持っていたはずの信繁が亡くなり、真田の家をまもるという「領地ナショナリズム」(といっておくが)、あるいは「真田の家の意識」を持っていた信幸が、生き残るということになる。

となれば、このドラマの後半の見所は、「忠誠心の悲劇」とでもいえばよいことになるだろう。そして、この後(信繁の死後)の江戸時代という時代の武士のエトスはどのようなものになるのか。「領地ナショナリズム」もあるだろう。だが、それよりも「主従の忠誠心」を重んじるものとして、武士の世界は展開していくことになるのかもしれない。であるならば、忠誠心の故にほろんでいくであろう真田信繁という人物像は、歴史の上でこのうえなく逆説的なものに見えてくるのである。

追記 2016-08-02
このつづきは、2016年8月2日
「真田丸」におけるイエ意識
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/02/8144450

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