米窪明美『天皇陛下の私生活』2016-08-08

2016-08-08

長谷部恭男の本ばかりつづくのもどうかと思うので、ちょっと方向を変えてみる。今日(2016年8月8日)は、今上天皇の、生前退位をめぐっての発表も予定されている。

米窪明美.『天皇陛下の私生活-1945年の昭和天皇-』.新潮社.2015
http://www.shinchosha.co.jp/book/339751/

この本は、タイトルのとおり、1945(昭和20)年の、昭和天皇の一年を記したものである。特に政治的な面ではなく、私生活に焦点をあてて記述してある。だが、それにとどまることなく、昭和戦前の宮中での天皇の生活の様子とかも、いろいろと興味深い。また、いくら私生活に限定するといっても、昭和20年のことである、終戦の決断から玉音放送、さらには人間宣言までのエピソードが、随所におりこまれている。

この本は、まず、昭和20年の正月の行事(四方拝)からはじまる。戦時中、昭和天皇は、空襲をさけるため御文庫で起居していた。また、この本で知ったのだが、戦時中、宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)も、臨時に移動していた。そして、四方拝の行事を始めようというときになって、空襲警報のサイレンが鳴ったという。結局、四方拝の行事は、御文庫の近くにさらに臨時の場所を設営してそこで行うことになったとある。

いろいろ興味深いことが書いてある本である。

たとえば、昭和天皇は、戦時中であるにもかかわらず、闇の品物には手をださなかったという。とはいえ、それは、宮中のことである。なにがしかは、どうにかなっていたようだが、記録されているメニューを見ると、実に貧相なものである。戦争中は、昭和天皇といえども、食べるものでは苦労していたんだんなあ、と実感される。

だが、そのような状況であるにもかかわらず、例年どおり田植えをしていた。これは、日本国の祭祀を司る天皇として、五穀豊穣を祈って、欠くことにできない行事であったのであろう。

玉音放送の日……日本のいちばん長い日でもあるが……反乱軍が宮中に押し入って録音盤を探してまわったことは、知られていることだろう。どうやら、そのとき、昭和天皇は、反乱が起こったことを知らずに、寝ていた(らしい)。ここも、「らしい」としかいいようがない記述になっている。

また、終戦にあたって、昭和天皇は、退位ということを考えていた形跡もあるという。

人間宣言にかかわるくだりを引用してみる。

(木戸の記述を整理すると)「天皇は自分のことを、神ではないが神の子孫であると、考えていたと読み取れる。ダーウィンの胸像を自室に飾りながら、三種の神器と国体護持とは切り離せない一体のものと信じる天皇は、科学者であると同時に神の末裔であることに何の矛盾も感じていなかった。」(pp.197-198)

そして、人間宣言の詔書に、五箇条の御誓文をいれたのは、天皇自らの意思によってであるとされる。このことについて、著者は次のように記している。

「これから始まる新日本建設の礎石に明治以来の日本独自の民主主義、明治天皇が神に誓った民主主義を据えたのだ。」(p.200)

五箇条の御誓文の評価については、今日の観点からは、いろいろ言うこともできよう。だが、昭和戦後まもなくの時点において、昭和天皇自らの意思として、これを確認するところから、新日本の再建に踏み出したということは、記憶されてもよいことであると思う。

ともあれ、この本は、面白い。

明治天皇については、すでにこのブログでもふれた。

やまもも書斎記 2016年5月29日
米窪明美『明治天皇の一日』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/05/29/8097931

やまもも書斎記 2016年6月13日
米窪明美『明治宮殿のさんざめき』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/13/8110191
 
この本『天皇陛下の私生活』は、昭和戦前における、宮中での天皇の生活誌としての側面ももっている。この意味でも、また、昭和という時代において、天皇とはいかなる存在であったのかを考えるうえでも、非常に有益な本であると思う。