長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』天皇は憲法の飛び地2016-08-12

2016-08-12 當山日出夫

今日は、天皇について読んでみることにする。

長谷部恭男.『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書).筑摩書房.2004
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061652/

やまもも書斎記 2016年8月11日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「公共財としての憲法上の権利」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/11/8149599

第6章「近代国家の成立」のはじめの方に、

「自然権は、人の本性に反するフィクションである。」(p.88)

「自然権が人の本性に反するフィクションであるように、自然状態で暮らしていた人々が社会契約を結んで国家を設立したという物語も、フィクションである。」(p.89)

そして、近代国家の成立の過程を、次のように要約する。

「近代国家は、身分制の下における、人によって異なる特権と義務の体系を破壊し、平等な人の創出を貫徹させた。それによって、そこに公と私の区分を基軸とし、私の領域においては各人が自らの選んだ生き方を追求するとともに、公の領域では社会全体の利益の実現へ向けて冷静な議論で合意形成をはかろうとする公正な社会の枠組みが成り立つ可能性が、はじめて現れたことになる。」(p.91)

ところで、このようにして成立した近代国家……現代の日本もそれに該当するのであるが……において、例外が存在する。その一つが天皇である。

選挙権がない、婚姻の自由もない、プライバシーも縮小されている、職業選択の自由もない、表現の自由もない、信教の自由もない……天皇・皇族とは、このような存在であることを指摘する。

この天皇のあり方について、著者は「飛び地」と称している。(p.94)

「憲法の認める普遍的な権利は、皇居の堀端を超えては及ばない。」(p.94)

そして、この「飛び地」の天皇は、憲法によって日本国の象徴とされている。それは、国民の総意に基づくものでもある。

そして、天皇制の将来については、このようにある。

「多くの国民が、身分制秩序のなかで生きる天皇を現在の日本の象徴と考える不自然さに気づいて、天皇を日本の象徴と考えなくなれば、天皇は日本の象徴ではなくなり、冒頭の問題(「飛び地」を「象徴」とすること、引用者)も解消する。」(p.96)

では、現在の日本において、天皇とはどのような存在であろうか。先日(2016年8月8日)の、天皇のビデオメッセージの放送、そして、それに対する様々な反応をみると、どうやら、天皇制という「飛び地」を残しておくことに、多くの国民は同意しているようである。象徴天皇制は、基本的に支持されているといってよいであろう。

同時に、今上天皇の退位については、賛同する意見が多いように思える。これは、「飛び地」としての不自然さ、それが、天皇にとって無理を強いるようなものであってはならないという感情にもなっていると、考えられる。

やはり、ここでは、天皇について考えることは、憲法について考えることである、という論点を確認しておくことが重要であろう。天皇という存在は、憲法上の「飛び地」であることを、はっきりと認識しておくべきである。

憲法について考えるということは、何も九条について議論するにとどまらないものである。

そのうえで、さらに私見をのべるならば、先日の天皇のメッセージは、天皇の「個人」としての思いを語るというものであった。だが、憲法上の「飛び地」である天皇に、そもそも、「個人」の領域があるのだろうか。

これは、その生活において、私的な領域があることを否定するものではない。しかし、天皇が天皇のあり方について語るということが、天皇「個人」の思いとして、あり得るものなのか、ここは、疑問に思っている。たしかに、自分自身のあり方、天皇のあり方について、いろいろ思うことはあるであろう。だが、それは「個人」の思いというものなのであろうか。

少なくとも、天皇は近代国家における市民としての個人ではない、このように考えるべきなのではなかろうか。一般国民と同列ではない。ならば、天皇の「個人」の思いとは、法的に、憲法学的に、どのように解釈されるのであろうか。信教の自由も、表現の自由も与えられていないような存在に、近代国家の市民一般にみられるような「個人」の概念が妥当なのであろうか。

そして、さらにいうならば、私としては、今上天皇の退位の意思の表明には、賛同するものである。しかるべき法的配慮のもとに、譲位ということが望ましいと思っている。

くりかえしになるが『憲法と平和を問いなおす』は、今から10年以上も前の本である。今上天皇が、まだお元気であり、退位などということが話題にならなかった状況のなかで書かれている。その時点での考え方として、「飛び地」としての象徴天皇の立場ということは重要であると思うし、それをふまえて、これからの天皇のあり方も考えなければならないと思っている。

追記
このつづきは、
2016年8月19日 長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』外国人
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/19/8154768