長谷川三千子『神やぶれたまはず』2016-08-16

2016-08-16 當山日出夫

長谷川三千子.『神やぶれたまはず-昭和二十年八月十五日正午-』(中公文庫).中央公論新社.2016 (原著は、中央公論新社.2013)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2016/06/206266.html

昨日(8月15日)、終戦の日として、テレビで今上天皇のお言葉をきいていた。たしかに、このようなことは、いわゆる「八月十五日の神話」を再生産していく行為にほかならなことは承知しているのだが、それでも、8月15日になると、いろいろ考えることが多い。そんななかで、買っておいたこの本をとりだしてきて眺めてみた。

そのことはこの本の著者もよくわかったうえで書いている。佐藤卓己『八月十五日の神話』に言及して次のように述べている。

参考
佐藤卓己.『増補 八月十五日の神話-終戦記念日のメディア学-』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.2014
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480096548/

「たしかに、歴史といふものをただもつぱら歴史年表式の歴史と考へるならば、八月十五日へのこだわりは、単にお盆と重なつてゐるといふ「八月十五日の心理」の問題にすぎず、事の本質は「九月二日の論理」の方にある、といふことになるであらう。」(p.58)

としたうえで、河上徹太郎に言及してこうつづける、

「しかし、河上徹太郎氏が、「あのシーンとした国民の心の一瞬」と言つたとき、それは心理でも論理でなかつた。それは「精神史」だけがとらへることのできる、或る〈わかりにくいもの〉であり、ついでに言へば、河上氏はそれを、メディアの宣伝にのつてではなく、当時のメディアの「嬌声」に〈さからつて〉掘り起こしてゐるのである。」(p.58)(〈 〉内、原文は傍点。)

このような箇所を読むと、やはり「八月十五日」というものに、なにがしかの感慨を感じずにはいられない。

ところで、この本のタイトル『神やぶれたまはず』は、冒頭に置かれた、折口信夫の歌に由来する。

  神こゝに 敗れたまひぬ――。
 すさのをも おほくにぬしも
  青垣の内つ御国の
   宮出でゝ さすらひたまふ――。

 (以下略)

この歌は、『近代悲傷集』所収。(「全集」を確認すればいいのだろうが、ここでは、引用をそのまま利用した。)

私は、大学は、慶應義塾大学文学部の国文科である。そのせいであるのだが、折口信夫には、格別の思いがある。ただし、ただ信奉しているのではない、逆に、意図的に無視することもない。日本の文化とか伝統とかというものについて語ろうとするとき、どうしても避けることのできない、なにかしら巨大な存在として、そこにある……としかいいようのない、なにものか、なのである。

折口信夫にしてさえも、いや、折口信夫だからこそというべきか、八月十五日のエピソードについては、いろんな書物などで目にしてきた。私にとって、折口信夫が特別な存在であるかぎり、八月十五日もまた、特別な日である。

もちろん、ポツダム宣言の受諾が8月14日、降伏文書の調印が9月2日である、という歴史は知っている。にもかかわらず、玉音放送のあった日として、「八月十五日」は、心のなかにのこりつづけている。

ところで、この本『神やぶれたまはず』は、いろんな人物の昭和20年8月15日を描いていて、その点だけをとりだしてきて、いわば「資料集」のようにして読むこともできる。その視点で読んでみても、多くの人にとって、「八月十五日」は特別の日である、あるいは、意味を見いだそうとしている日であることを、確認できる。列挙してみる。

折口信夫
橋川文三
桶谷秀昭
太宰治
伊藤静雄
磯田光一
吉本隆明
三島由紀夫
昭和天皇

それぞれの人物については、また評価はさまざまであろう。だが、「八月十五日」という日を取り出してきてながめるとき、そこに、ある種のなにか……それを「神話」といってもよいかもしれないし、「精神史」といってもよいかもしれない……が、あることが見て取れよう。

「八月十五日」には、このようなアプローチもあってよいのではないかと思う次第である。とはいえ、その著者(長谷川三千子)の主張しようとしていることに、賛同というわけではもちろんないのであるけれども。