家入一真『さよならインターネット』2016-09-04

2016-09-04 當山日出夫

家入一真.『さよならインターネット-まもなく消えるその「輪郭」について-』(中公新書ラクレ).中央公論新社.2016
http://www.chuko.co.jp/laclef/2016/08/150560.html

インターネット批判の本というよりも、インターネットがあまりにも生活の中に浸透してしまった状況のなかで、次のステップをどう考えるか、という向きの本といえばいいだろうか。結論は、意外と、というべきか、普通である……いわく「書店に行こう」。

ただ、現状の分析の着眼点は面白い。「はじめに」は、会社でインターンシップで働いていた学生との会話からはじまる。その若者にとっては、インターネットが魅力的とはもはやうつらないようだ。で、こういう、インターネットはハサミのようなものである、と。

スマホが普及し、さらには、「IoT」と言われている現在、インターネットは、わざわざ接続するものではなく、すでにあるもの、その中にいて当たり前のものなってきている。

そのような状況になってきた時代背景の移り変わりの本としては、この本の前半は興味深く読んだ。もちろん、この本の著者より年長である私としては、インターネット以前のパソコン通信の時代から、なにがしか、インターネットには興味関心をいだいて、そして、使って、今日まで来ている。

この意味では、なるほどそういう時代があったな、と共感しながら読む面があった。だが、後半になって、現代から近未来を展望して、ではどうなるのか、となったとき、とたんに魅力が薄れてしまう。何かしら凡庸な一般論を延々と聞かされる感じになってくる。で、とどのつまりは、(先に書いたように)「書店に行こう」である。そんなこと、いまさら言われなくても分かっている。

その書店が、インターネットのせいで減少しているのが、現実の姿なのではないのか。で、どうすればいいのか。結局は、どこかで「リアル」に軸足の片方をおいておくことの重要性というところに帰着する。あるいは、あえてインターネットから距離をおいてみることの必要性とでもなるか。

この本の読後感の物足りなさは、

東浩紀.『弱いつながり-検索ワードを探す旅-』.幻冬舎.2014
http://www.gentosha.co.jp/book/b7968.html

に通じるものがあると感じた。ちなみに、この本のことにも、ちょっと言及してある。

これとは反対に、インターネットの仮想的な世界のなかに、なにがしかの「リアル」を見出していこうという考え方もある。その一つになるだろう、以前にとりあげた、

佐々木俊尚.『21世紀の自由論-「優しいリアリズム」の時代へ-』(NHK出版新書).NHK出版.2015
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000884592015.html

が位置するのかとも思う。

私の立場はというと……今のところ、スマホを持たなくても生活できる生き方を選んでいる。これは、これで、非常にめぐまれた環境にいると思っている。ノートパソコンも使っていない。自分の家の机から離れたときぐらいは、そのようなものから解放されたい。そして、それが可能であり、また、その状況に満足している。

この本のことばにしたがって言うならば、まだ、その「輪郭」をつかめる立場にいるということになる。ならば、しいてその先にいくこともないだろう。今はまだこれが個人の生き方として選択できる時代なのであるから。