日本文学全集30『日本語のために』2016-09-17

2016-09-17 當山日出夫

池澤夏樹・個人編集.日本文学全集30『日本語のために』.河出書房新社.2016
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309729008/

この本について、書きたいことはいくつかあるが、二点。

第一には、「日本語」といいながら、漢文、琉球語、アイヌ語の文献・資料・作品まであがっている。漢文(訓読文)、それから、琉球語はいいだろう。だが、アイヌ語は日本語とは別の言語であるはず。

これを悪いというつもりはない。これはこれで画期的な試みとして評価されていいとは思う。だが、そのことにもうすこし自覚的であった方がいいのではないか、という気がしてならない。

ざっと見た限りの印象なのだが、なぜ、ここでアイヌ語の作品をとりあげるのか、ということについては、あまり踏み込んでいない。これはこれでいいのかもしれない。だが、ここで、「日本文学全集」のなかで「日本語のために」というアンソロジーを編集するにあたって、どの範囲のことばをあつめるのか、もうすこし説明があってしかるべきではないだろうか。

いや、そうではなく、とにかくこのような形であれ、アイヌ語、琉球語の作品をおさめることに意味があるのだ、という立場もありえよう。その意味では、今回のこのこころみは、いろんなことを考えるきっかけになるにちがいない。いや、そうあってほしいものである。

第二に、この本はアンソロジーのアンソロジーという編集でもある。

これも別にこのことを悪いという意味で言おうとしているのではない。たとえば、「日本詩人選」(筑摩書房)などから、いくつかとられている。
・寺田透 義堂周信・絶海中津
・富士正晴 一休
・唐木順三 良寛
などである。

時代が変わったなという印象をもった。私の世代なら、これらの本は若いときの読書の範囲であった。「日本詩人選」のシリーズもいくつか買って読んだ記憶がある。唐木順三全集も買ってもっている。

そういえば、この「日本語のために」には出てこないが、山本健吉というような人も活躍していたな、と思い出す。今では、もう読まれなくなってしまった人であろう。評論家といえばいいのだろうか。特に和歌・俳諧について、いくつか本を読んだように覚えている。

もうこのような仕事……古典文学、古文を、現代の視点から解読して解説する……というような仕事が、文芸評論の仕事の範囲ではなくなってしまった、ということなのだろうと思う。それにかわって新しく出てきているのが、大塚ひかりのような人材なのであろう。大塚ひかり訳の『源氏物語』については、すでに触れた。

やまもも書斎記 2016年9月10日
大塚ひかり訳『源氏物語』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/10/8177645

そして、もはや、唐木順三の文章、それ自身が古典というべき範囲のなかにはいるようになってしまったといえばいいだろうか。

以上の二点、『日本語のために』を手にとって、パラパラとページを繰ってざっと眺めてみての感想である。