『真田丸』あれこれ「信之」2016-09-21

2016-09-21 當山日出夫

9月18日、放送の『真田丸』第37回「信之」についていささか。

やはり私の関心は、信繁は、いったい何のために行動しているのであろうか、そのエトスにある。

兄、信幸(信之)は、真田の家(イエ)のために行動している。決して、徳川の一員としての忠誠心からではない。

父、昌幸が、昔はよかった、楽しかったと回想するシーンがあった。戦乱の世をなつかしんでいる。それは、それなりに理解できるものである。

しかし、信繁はどうだろう。真田のイエのために行動しているようでもある。だが、父のように昔の戦乱の世にもどって、領地を戦って得ようとは思っていない。それは、もはや不可能なことである。むしろ、これからは、徳川の世になって、戦乱がおさまることを予見しているかのごとくである。

であるならば、信繁は、なぜ徳川に敵対することになるのであろうか。徳川に降伏して、蟄居を命ぜられた恨みからか。あるいは、馬廻衆としてつかえた、豊臣の一員としての忠誠心のためか。このあたり、現在の時点での信繁の描きかたとしては、そのどれでもなく、ただ、ひたすら冷静に世の中の動き(豊臣から徳川に実権が移っていくこと)と、己の立場……運命とでもいえばいいだろうか……を、見据えているがごとくである。牢人となってしまった信繁には、もはや守る故郷もない。ここには、このドラマの最初の方によく登場した、真田の郷へのパトリオティズムの入り込む余地はもはやない。

これから、九度山での生活を経て、大阪の陣へと物語は進んでいくのだろう。信繁はどう描かれることになるのであろうか。豊臣の家臣としてか、あるいは、牢人としてか、あるいは、武士としてか。このあたりの、信繁の立場とエトスをどのように描写していくことになるのか、気になっている。

徳川に敵対し、豊臣の側につく、そこに、牢人ではあっても「武士」としてのエトスを見いだすことになるのであろうか。今はまだ、信繁にとって雌伏のときのようである。

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