『真田丸』あれこれ「昌幸」2016-09-29

2016-09-29 當山日出夫

この前の日曜日の放送の『真田丸』第38回「昌幸」についていささか。

やはり続けて、信繁のエトスについて考えてみる。

この観点で一番興味深かったのは、板部岡江雪斎と高野山での再会のシーン。ここで、江雪斎は、信繁に対して、「瞳の奥には、武士の精神が、熾火のようにある」という意味のことを言っていた。言い換えるならば、信繁は、武士のとしてのエトスを失ってはいない、ということなのだろう。そして、これは、将来の信繁の生き方についての伏線にもなっている。

この回のメインは、父(昌幸)の最期。ここで、昌幸は、戦国の武士として死んでゆく。その昌幸は、信繁に、徳川と戦うことになったときの策略を伝授して亡くなる。父(昌幸)は、戦国武将として生きた人間となる。昌幸のエトスは、戦国武将のそれであったといえるであろう。では、その子(信繁)は、どう描かれることになるのだろうか。

徳川にうとまれ、高野山で蟄居の身。だが、武士であることは捨てていないようだ。これからの信繁のエトスとなるのは、武士として生きていく限り、徳川につくことがないとすれば、豊臣のために戦うしかないという選択だろう。

このドラマでは、様々なエトスが描かれている。徳川家に対する忠誠(本田正信など)、豊臣家への忠誠(石田三成など)。それから、信繁……牢人となっても武士であることのエトス。信繁は、もはや、豊臣の家臣ではない。しかし、徳川と戦うことになると豊臣につかざるをえない。これは、時代の「運命」といってもよいものかもしれない。信繁が豊臣のために戦うことになるのは、私には「運命」であるように思える。

「運命」ということば、現代人には似つかわしくないかもしれない。しかし、一昔前までの人間にとって、おのれの「運命」のもとに生きるというのは、自然ななりゆきであったのかもしれないと思って見ている。

さて、次回はどうなるだろうか。