国旗と平和記念日2016-10-09

2016-10-09 當山日出夫

つづきである。

やまもも書斎記 2016年10月
国旗を掲揚できるようになった日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/10/08/8217674

ここでも、アジア歴史資料センターを検索してみたが、それに該当する史料は見いだせないようである。

昭和23年から24年の範囲で、「国旗」をキーワードにして検索すると、次の史料がヒットする。

国旗掲揚について
レファンレンスコード A13111214400

閣甲第四四号 起案 昭和二十四年三月一日 決定 昭和二十四年三月二日 施行 昭和二十四年三月二日 案 (一) 昭和二十四年三月二日 内閣官房長官 各省大臣宛(各通) (法務総裁を含む) 国旗掲揚について 標記の件に関し、一月十二日附内閣閣甲第九号をもつて通知したが、右通知の追書の部分は、別添一月二十五日附極東海軍司令指令CNFE/S七〇-二号によつて左記のとおり改めたから、命によつて通知します。 記 なお、右に「国内において」とあるが、この場合沿岸三厘以内の港内においては、船舶(ランチ等を含む)は、碇泊中、航海中のいずれの場合にも国旗を掲揚することができるから申添える。(昭和二十四年二月二十三日運輸省告示第七十四号参照)

これを見ると、昭和24年になって(まだ、この時点では、日本は独立していない)、国旗の掲揚が一般に認められるようになったことがうかがい知れる。

ところで、昭和22年にかぎって検索してみたら、次の史料が出てきた。

平和記念日制定に関する請願
レファレンスコード A13110847200

衆乙三七九 昭和二十二年六月二十日閣議決定 昭和二十二年六月十九日 別紙の「平和記念日制定に関する請願」を審査したところ、この請願の趣旨は、「政府は、終戦記念日たる八月十五日を平和記念日とし、この日全国民をして国旗を掲揚して戦争の惨禍を追想し、犠牲者に対する追悼の念を新にすると共に、心から平和を愛好する精神を涵養せしめで平和日本の建設に資せられたい。」というのである。 この請願について、研究したところ、この請願の趣旨には、尤もなところが少くない。毎年八月十五日において国民が戦争の災禍を追想し、平和日本建設の決意を新にすることは適当であると思われる。が、今直に八月十五日を以て平和記念日と決定することについては、十分研究しなければならない。

つまり、昭和22年の段階で、8月15日を「平和記念日」とすること、そして、その日には、「国旗」を掲揚して、戦争の犠牲者を追悼するとともに、平和を祈念する日としたいという趣旨のことが記されている。

「八月十五日の神話」とはいうけれど、昭和22年の時点で、8月15日を終戦を記念する日という発言があることが、興味深い。つまり、9月2日ではないということ。それほど、8月15日の玉音放送のあった日のできごとというのは、日本国民に強い印象のある日なのであった、ということを改めて感じる次第である。

蛇足でいえば、日本が、ポツダム宣言受諾を表明したのは、8月14日。戦艦ミズーリにおいて降伏文書に調印したのは、9月2日。これらの日のことを忘れないでおくこともまた必要なことだと思っている。