『真田丸』あれこれ「入城」2016-10-18

2016-10-18 當山日出夫

今日もテレビの話し。『真田丸』、2016年10月16日、第41回、入城。

描かれていたのは、信繁(幸村)の、豊臣への忠誠心。そして、それとは対照的に、兄・信之のイエ意識。

何のために信繁が豊臣のために戦うことになるのか、それは豊臣への忠誠心であるとしかいいようがないようになってきている。その忠誠心が豊臣の力になっていく。

興味深かったのは、兄(信之)の方の描き方。真田のイエの嫡男を誰にするかで、かなりの時間をつかって描いていた。武術にすぐれている正室の子よりも、文弱ながら年長の子の方を選ぶ。これは、大阪の陣の後の徳川太平の世を見越しての判断ということになるのだろう。

何度も書いたことだが、我々は歴史の結果を知っている。豊臣は滅ぶ。信繁は死ぬ。だが、真田のイエは残る。信之は生き残る。この結果を知っている立場から見て、どのように、それぞれの行動を説得力をもって描けるか、がこのドラマの見せ場になるのだろう、と思って見ている。忠誠心をもつものがほろんでいって、イエを守るという意識で動いた方が生き延びることになる。

大阪の陣に場面が変わってから、信繁が真田の一員であるというイエの意識は、まった出てこないかのごとくである。描かれるのは、武士である信繁と、それをささえるエトスとしての豊臣への忠誠心。信繁の行動は、すべてここから導き出されているようである。

現代の価値観から考えるならば、忠誠心のために命をかける、そして滅んでいくというのは、馬鹿げた行動ということになるだろう。それをどのように説得力をもって描けるかが、このドラマのできばえ、ということになるだろうか。