末延芳晴『夏目金之助ロンドンに狂せり』2016-10-19

2016-10-19 當山日出夫

末延芳晴.『夏目金之助ロンドンに狂せり』.青土社.2016(これは、新装版、原著は、2004、青土社。加筆・修正あり。)
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=2930

今年は、漱石没後100年。NHKでは『夏目漱石の妻』を放送するし、岩波書店は、新しく全集を出す。(この新しい全集、この前に出たのとそう大きく変わることはないようだが、しかし買っておくかなという気にはなっている。全巻予約販売にはなっていないので、順番に買っていくつもり。)

ところで、この本も、漱石没後100年をあてこんで出されたもの。帯には「没後100年/生誕150年記念」とある。「新装版あとがき」を読むと、ちょっとだけ修正を加えたとある。

私は、漱石の作品を読むのは好きな方だが、漱石について書かれたものを読むのは、あまり好きではない。近代文学専攻という立場ではないので、純然たる読者の立場でとおしてきたつもりでいる。とはいえ、日本語学の立場から見て、近代日本語、特に口語散文の成立という観点からは、漱石の文章は重要だとは思っている。

高校生のときぐらいまでに、その当時で、文庫本で読める漱石の作品の主なものは読んでいる。これは、私の年代であれば、ごく普通のことだろう。それから、江藤淳の『夏目漱石』も。

この本について感想を書いておくならば、次の二点。

第一には、「漱石」と「金之助」の虚実皮膜の間、とでもいうようなものを感じる。タイトルは「夏目金之助」としてある。英国ロンドンに留学していたのは、「金之助」であって「漱石」ではない。あくまでも、「文部省留学生夏目金之助」としての生活の足取りをおっている。その「金之助」が、ときどき「漱石」の顔をのぞかせる時がある。ロンドンでの生活、その困窮のなかで、「金之助」をすくったのは「漱石」になれる時であったように理解される。

漱石について、そのロンドンでの生活は、研究がつくされているという感じがしているのだが、この本は、それでもなお、新たな知見を与えてくれるものだろうと思う。(近代文学研究が専門というわけではないので、このあたりの研究分野の事情にはうといのだが。)

第二には、『倫敦塔』の解釈である。この本は、『倫敦塔』の読み解きに、かなりのページをつかってある。「金之助」のロンドン体験がどのようなものであったのか、また、それが、その後の「漱石」の作家活動にどのような影響を与えたものであったのか、『倫敦塔』を読むことによって、解き明かそうとしているかのごとくである。

これまで、『倫敦塔』は、あまり好きな作品ではなかったというべきなのだが、これをきっかけに、再度、『倫敦塔』を読み直してみようかという気になっている。(読むなら、岩波の新しい全集版でということになるか。たぶん、持っている古い版と変わらないはずだが。)

以上の二点が、ざっとした感想である。

気になった箇所を引用しておく。この本は、資料として、漱石の書簡や日記を大量につかっているのだが、

「漱石は、日本の近代文学者のなかでは、初期の漢文体から最後の『明暗』の完全言文一致体まで、一番過激に文体を変えていった作家といっていいだろう。その漱石が自己本来の文体を掴みとる最初のきっかけが、これまで一般に子規との関連で言われてきたような、写生文ではなく、漢文体からやむをえず踏み出してしまった疑似言文一致体や手紙の候文体にあったことは、今後もっと解明される必要があるだろう。」(p.135)

このあたりの指摘は重要かなと思う。

漱石の文章は、今の中学生でも読める。『坊っちゃん』など。理解の難易をとわなければ、『明暗』も読めるだろう。そのような文章がどのような経緯で形成されてきたのか、今後の研究課題になるということだろう。

そして、それは、もはや、漱石コーパス、近代文学コーパス、近代日本語コーパス、というものを駆使しての仕事になるにちがいない。もう私としては、何をするでもなく、ただ、ひたすら、一人の読者の立場で、漱石の作品を読むことにしたいと思っている。