山内昌之『歴史とは何か-世界を俯瞰する力-』2016-10-24

2016-10-24 當山日出夫

山内昌之.『歴史とは何か-世界を俯瞰する力-』(PHP文庫).PHP研究所.2014 (原著、『歴史の作法』.文藝春秋.2003 加筆・修正あり)
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-76243-2

このところ、山内昌之の本を読むことが多い。いろいろ理由はある。

第一には、イスラームが専門の歴史家であること。でありながら、日本はもとより、世界の情勢・歴史に通暁している、幅広い知見のもちぬしであるということ。このことについては、ことさらここに書くまでのことでもないだろう。

第二には、その歴史観に共感するところがつよい、ということがある。

この第二の点についていえば、本書では次のような箇所。

「現在の日本には、専門家たる歴史家でなくても、自分が過去と現在からオリュンポスの神々のように超然とし、戦争の責任問題や犠牲者の数といって微妙な事象さえ「客観的」に評価できると信じる人びともいます。」(p.16)

「日本の未来と歴史的進路について、文明論的な洞察と過去とのバランスがとれた対話を歴史学者に期待する市民がどれほどいるでしょうか。確かに、最近では格別に歴史的実証に努力してきたわけでもない歴史学以外の学者、はたまた作家や評論家までも、左右を問わず戦争責任や植民地支配に関わる歴史戦争の〈主役〉になっています。」(pp.26-27)

「しかし、いずれかは絶対悪の加害者であり、他方は絶対善の被害者というような解釈が歴史で果たして成り立つのでしょうか。逆に、絶対善の加害者と絶対悪の被害者という組み合わせも疑ってかかる必要があるでしょう。」(p.29)

「明治維新このかたの日本近代史をまるで悪の年代記と考える立場にしても、侵略戦争や植民地支配の負の現実を忘れがちな立場にしても、歴史の決定要因の複合性を解釈できない人びとが一部に見受けられます。」(p.30)

これらの引用にみられるように、歴史に対する専門家としての自負にうらづけられたバランス感覚が重要であると思う。

日本の近現代史については、歴史学の研究課題であると同時に、きわめて政治的な問題でもある。特に、近隣諸国のみならず、アメリカとの関係においても、近代史全体をみわたしての議論が必要になってきていると思う。

今のような時代、信頼して読むべき希有な歴史家の一人であると思う。