天皇とポツダム宣言2016-10-27

2016-10-27 當山日出夫

昨日のつづきである。

やまもも書斎記 2016年10月26日
半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/10/26/8236181

日本は、太平洋戦争(大東亜戦争)を、ポツダム宣言の受諾によって、降伏ということになった。そのとき、重視されたのは、国体の護持ということであったことは、知られていることである。国体の護持、つまり簡単に言い換えれば、天皇制をどうするか、昭和天皇はどうなるのか、といったことになる。

ところで、ポツダム宣言には次のようにある。

「十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ」

国立国会図書館 日本国憲法の誕生 憲法条文・重要文書
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html

戦後の日本占領、憲法制定、天皇制をめぐっては次のような状況にあったと、半藤一利は書いている。

「いまや天皇退位は天皇の私事ではなく、まさしく戦後日本の運命を左右する根本の大事となっていた。特にアメリカでは最大の難問なのである。それで九月から十月にかけて、ワシントンの国務省・陸軍省・海軍省の三省調整委員会(とくに下部の極東小委員会)において、時をおかず天皇の身柄をいかにすべきかについての激しい討議がつづけられていたのである。/実のところ、彼らはジレンマに直面していた。公然と、軍国主義の源泉たる天皇制の全面廃止をうちだせないのである。なぜならポツダム宣言受諾をめぐって、せっぱつまったところで日本政府に、天皇制の将来は日本国民の自由意志にまかせると、アメリカは約束していた。「いまになって、信義にもとるようなことはできない」と、強硬論者はホゾを噛まざるを得ない。」(p.156)

この本、『日本国憲法の二〇〇日』は、憲法制定のプロセスをめぐる歴史を描いている。と同時に、戦後の天皇制のあり方について、どのような思惑が交錯したかをも、同時に書いてある。

いうまでもなく、現在の天皇は憲法によって規定されている。つまり、天皇制について議論することは、憲法について、その成立について、その正統性について、議論することにつながる。

日本国民の意思によって、憲法が制定され、その憲法には、国民の総意のもとに天皇の存在が規定されている……これが、タテマエの筋道ということになる。

少し前の国会で、首相がポツダム宣言をつまびらかに読んでいるか、いないか、ということが話題になったことがあった。

ポツダム宣言の受諾によって、日本が戦争を終結させ、その占領下にはいることになった。これは冷厳な事実としてうけとめなければならない。と同時に、そのとき、我が国の国体(強いていえば、天皇制)のあり方をめぐっても、なにがしかの方向性の取り決めがあった、これもまた事実とすべきことであろう。

であるならば、ポツダム宣言受諾を受け入れるならば、天皇制維持ということもまた、日本国民の選択としてあったのだ……このように理解することもできる。

天皇制の行方は、憲法の問題でもあるし、歴史的には、ポツダム宣言受諾の時点にさかのぼって考える問題であるように思う。