烏猫2016-10-31

2016-10-31 當山日出夫

半藤一利.『漱石先生ぞな、もし』(文春文庫).文藝春秋.1996 (原著 文藝春秋.1992)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167483043

漱石没後100年の今年、漱石にまつわる本があれこれと出る。これは、かなり以前に出たものであるが、取り出してきて、読んでみた。これは、とにかく気楽に読めるのがいい。近代文学研究の解釈ゲームは、この本のなかにはない。

この本を読んで、付箋をつけた箇所。漱石の飼っていた猫のこと。これが黒猫であったとのこと。黒猫について、次のような記述がある。

「ところで爪の裏まで黒い猫は、魔除けになるといまも信じられている。別名を烏猫といい、江戸時代には宝暦・明和ごろから、恋煩い、気鬱症、労咳、衰弱症などで参っているもののそばにおくと、全快のまじないになるといわれた。」(p.115)

高木蒼梧氏によるとして、随筆『百味簞笥』にあるという。

そして、川柳をさがしてみると次のような句がある。

・鼠の外にも能ある烏猫
・蒼白い娘の側に黒い猫
・黒猫の椀に鮑の片思ひ
(p.116)

ここで猫のことについて言及したのは、漱石について言いたいためではない。我が家の猫たちについて書いておきたいからである。

いまから十数年前になるが、猫をひろった。家の横のやぶのなかで猫の鳴き声がする。見てみると、子猫が鳴いていた。手でつかんで拾い上げてやった。野良猫が産んだ子供のようである。さて、どうしたものか。一度、地面の上で鳴いていた猫を、手にとって拾い上げて、もう一回、地面の上にもどすということも、不憫でできない。まあ、要するに飼ってやることにした。そうせざるをえない。

このとき、二匹が、我が家の猫になった。両方とも黒猫である。足の裏もくろいし、ヒゲも黒である。爪も黒ずんだ色である。二匹の黒猫がいるのだが、比べると、両者、微妙に黒い毛の色つやに違いがある。黒と言っても、一様ではない。

なんということもなく、飼って今日にいたっている。このような黒猫を「烏猫」ということを、上記の『漱石先生ぞな、もし』の引用箇所を見て、はじめて知った。

縁起のいい猫……といわれても、いたって無能である。鼠をとるということは、まず、ない。せいぜい、トカゲである。それも、このごろ、年取ってきてからは、あまりとってこなくなった。

小さい頃からそのように育てたせいであるので、キャットフード(乾燥)しかたべない。生もの、たとえば、生のお魚とかは、見向きもしない。せいぜい、ほしがるのは、鰹節ぐらいである。鰹節も、言ってみれば、乾燥キャットフードの一種のようなものである。

二匹とも、老猫になってしまって、たいてい家の中で寝ている。気候がいいときには、ちょっと外に出て、日陰で、あるいは、日向で、ゴロゴロしている。

いたって、無能としかいいようのない我が家の猫であるが、はたして、我が家にいて、福をもたらしてくれたかどうか。私が、今になって、こんな駄文をブログに書いているような生活をおくっていられるのも、猫のおかげと思うことにしよう。