『真田丸』あれこれ「幸村」2016-10-11

2016-10-11 當山日出夫

『真田丸』2016年10月9日、第40回「幸村」

結局、この回は、方広寺の梵鐘の一件、要するに、家康が豊臣を滅ぼす方針をかためるまでのみちすじ、それから、信繁が幸村と名乗って、豊臣につくことになる、これだけのことであった。

感想をいえば……方広寺の梵鐘の件は、これは口実として、では、なぜ、徳川は豊臣を滅ぼさねばならなくなっていたのか、そこのところの、歴史的(政治的、社会的、経済的)経緯が、描かれていなかった。これは、わざと省略して、ただ敵対することにしたのだろうが、できれば、大阪の陣にいたるまでの、各大名の動きや、初期の徳川幕府の体制のあり方など、描けなかったものかと思ったりする。

それよりも、問題は信繁(幸村)である。豊臣のために戦うことを、いったんは断る。しかし、延々とした回想シーンの後、決心を固めたようである。それを、一言でいえば「宿命」ということになろうか。自分は豊臣のために、徳川と戦うことになる、そのような「宿命」のもとに生まれ生きてきたのである、それを確認するための、回想シーンであったように理解される。

ここにきて、このドラマの初期のときの戦国大名・国衆のときのような、領土ナショナリズムもなければ、パトリオティズム(愛郷心)も、出てこない。また、真田のイエの意識もけしとんでいるようだ。ただあるのは、豊臣に対する「忠誠心」のみといってよいか。そして、自分が武士であるからには、その「忠誠心」は、徳川と戦うことによってのみ表現されるものである。

大河ドラマでは、戦国時代を描くことが多い。そのとき、登場人物の行動の原理になるもの……エトス、をどう描くか、ここに私の関心はある。この観点から見て今回の『真田丸』のエトスは、「忠誠心」ということになると理解していいのだろう。

そして、もし、このドラマ『真田丸』が成功作となるのであれば、それは「忠誠心」を描いたドラマとして、ということになる。この「忠誠心」は、「現代」の日本では、表現しようとすれば、あまりにも無残な姿になるにちがいない。「現代」が失ってしまったものとしての「忠誠心」への、かすかなあこがれのようなものを感じ取ることができるかもしれない。

ところで、この意味では、来年の『おんな城主 直虎』は、時代的状況から考えて、主人公のエトスになるものとして「忠誠心」は出てこないだろうと思う。ではどうするのか、このあたり今から気になっている。言うまでもないことだが、よくできた時代劇というものは、「現代」を描いているものなのである。

半藤一利『続・漱石先生ぞな、もし』徴兵逃れのこと2016-10-12

2016-10-12 當山日出夫

NHKで、『夏目漱石の妻』をドラマでやっているせいか、漱石関係の本を、手にとったりしている。そのなかの一冊、

半藤一利.『続・漱石先生ぞな、もし』(文春文庫).文藝春秋.1996 (原著、文藝春秋.1993)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167483050

もういまでは売っていなようだ。

この本でちょっと気になって付箋をつけた箇所。漱石が、徴兵をのがれるために、戸籍上の本籍を北海道に移していた件について。このことについて、半藤一利は、つぎのように記している。

「前著(『漱石先生ぞな、もし』)で、記したように、日清戦争がはじまる以前は、なお兵役から免れる手段をとることが国家への反逆となるわけではなかった。徴兵猶予の道をさがすのは通常よく行われていたのである。すなわち福地重孝氏の著書によると、明治十年代には、それを証するような愉快な本が何冊も出版されている。」(p.106)

として、次のような本が記してある。

石井郁太郎『徴兵令――附のがれ法』明治十六年
近藤道治『徴兵免否註解――一名徴兵のがれ早わかり』明治十七年
中野了隋『徴兵心配なし』明治十七年
中井要平『新令・旧令 徴兵免否要覧』明治十七年

これらの本の典拠は、巻末の参考文献によると、

福地重孝『軍国日本の形成』(春秋社)

である。この本の刊行年は、1959らしい。(NDLによる。)

そして、上述のような本はあることは分かったが、読めるかどうか。国会図書館で検索をしてみると、次の本がオンラインで読めることが分かった。著者名で検索してみた。

近藤道治 改正徴兵令註解 : 一名・徴兵のがれ早わかり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/797776

近藤道治 改正徴兵令免否註解 : 一名・徴兵のがれ早わかり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/797803

中井要平 現行改正徴兵免否要覧
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/797816

中井要平 新令旧令徴兵免否要覧
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/797867

ともあれ、筆者(半藤一利)のいうとおり、明治のはじめのころまでは、徴兵から逃れることは、別に悪いこととはされていなかったようである。そして、いま、上記のような本は、国立国会図書館デジタルコレクションにはいっていて、オンラインで閲覧することができるようになっている。

たまたま都合でこの順番で書いてみたが、最初に出た『漱石先生ぞな、もし』については、改めて書くつもり。

NHK朝ドラの戦争の描き方2016-10-13

2016-10-13 當山日出夫

NHKの朝ドラ……連続テレビ小説……を見ていて、いろいろ気になることはあるが、最近、戦争の描き方が、興味深い。

今やっている『べっぴんさん』(2016後)では、第一回の冒頭は、戦争で焼け野原になった神戸の街をヒロイン(すみれ)が眺めるシーンからはじまっていた。そして、時をおなじくして再放送がはじまった『ごちそうさん』(2013後)でも、ヒロイン(め以子)が空襲でがれきの街と化した大阪で、食事をつくる場面からはじまっている。ともに、戦後の荒廃したシーンからはじまって、それから、その子供のころの話し(戦前)にもどって、ドラマがスタートするという構成であった。

それから、戦前・戦中の場面こそあまり登場しなかったものの、『梅ちゃん先生』(2012前)でも、空襲をうけて荒廃した東京(蒲田)の街から、番組がはじまっていた。

こういうのを見ると、ドラマとはいえ、戦後の空襲で荒廃したところから、戦後の日本が再スタートしたという、現代日本の原点とでもいうべきものが、そこに描かれているように思える。これはこれで、現在の我々のものの考え方の基本にあるものとして、再認識しておくべきことなのかもしれない。

また、玉音放送のシーンもたびたび出てくる。日本が、本当の意味で戦争に終止符をうったのは、9月2日の降伏文書調印だと思っているのだが、一般には、8月15日の昭和天皇による玉音放送が、戦争の終わりとして、描かれる。一様に、ひたすらラジオから流れる昭和天皇の声に耳をかたむけている。そして、それが、戦争の終結を表象するものになっている。実際は、その後になって配達された新聞(その日の新聞は、玉音放送に配慮して放送の後に配達された)とか、その後のラジオ放送によって、ポツダム宣言受諾ということを国民は知ったはずなのであるが、そのことは描かれない。

この玉音放送のシーンで一番印象的だったのは、『カーネーション』(2011後)。放送をしんみりと聞いていた後、すぐにそれを忘れたかのように糸子は食事にとりかかっていた。

また、興味深かったのは、『ごちそうさん』で描かれた焼夷弾への対応。焼夷弾はバケツで水をかけたぐらいで消せるものではない、落ちてきたらひたすら逃げるしかない……このようにヒロインの夫は言って、それで、満州に左遷ということになった。こんなふうに焼夷弾のことを描いたドラマというのは、めずらしいのではないか。

『おひさま』(2011前)の、日米開戦のシーン。それまで日中戦争で重苦しかった生活がつづいてきて、昭和16年12月8日の日米開戦で、急に目のまえがあかるくなったように感じた……これは、各種の残された手記・日記など史料からもうかがえることだが、これをきちんと描いていたのが印象的である。

また、戦争が終わっての闇市の場面。これも、何度か登場している。一番最近の『とと姉ちゃん』(2016前)を見ていて気づいたこと。最初に闇市の場面になって、その全体像を俯瞰的にうつすところ。そのなかに、あきらかにそれとわかる(進駐軍の兵士を相手にしているのだろう)女性たちが、ちらりとではあったが、登場していた。これなど、実際の彼女たちの姿はどんなものだったのだろうかと思ったりするのだが、ドラマに出てくると、その服装や化粧などで、すぐにそれとわかるように描いてある。

近年のNHK朝ドラの戦争の描き方を見ていると、それぞれ番組の特色を出しているようにも思えるが、どうしても、ある種のステレオタイプをなぞっているような感じがしないでもない。

これを、プラスに考えれば、「記憶を風化させない」ということになるのかもしれないし、しかし、一方では、「一面的なステレオタイプの繰り返し」ということになるのかもしれない。

ありきたりのことになるが、やはり史料にもとづいて考証し、考えるということにつきるということになろうか。

山本貴光『「百学連環」を読む』2016-10-14

2016-10-14 當山日出夫

山本貴光.『「百学連環」を読む』.三省堂.2016
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/dicts/books/100gaku/

これは、三省堂のHPに連載されたもの。この本のなりたち、また、評価については、すでに各所に出ていると思う。いつものように、個人的感想などいささか。

最低限のことを確認しておくならば、この本「百学連環」は、今から150年ほど前(明治3年)に、西周による講義。それを筆録したもの。それを、133回に分けて、ネット上に公開しながら、順番に読んでいった、その講義録のようなもの。この本の主題とすべきは、明治初期の「学問」の総体である。

さて、私がこの本を読んで感じたのは、次の二点。

第一には、デジタル化された知識を縦横につかっていること。筆者は、この本を書く(WEB上で連載する)にあたって、その手のうちを公開している。たとえば、洋学関係の資料をみるにあたっては、Google Books を参照したことなど、書かれている。

たぶん、この本は、インターネットにある様々なデジタル化された「知」がなければ書けなかったであろう。

第二には、しかし、それでもなお不十分な点を感じるとすれば、近世の蘭学資料とか、明治初期の啓蒙的著作について、調べが及んでいないと感じさせるところ。これは、ひとえに、まだこれらの資料がデジタル化されて、自在に検索できる状態になっていないからである。

簡潔に述べれば、上記の二点になる。つまり、この本は、まさに今の時代、21世紀の初めの10年頃、その時期における、『百学連環』の読書録である、ということである。これは、ある意味では、この本の限界である。だが、著者は、この限界を、はっきりと意識しているように思える。さらに、各種の資料がデジタル化されて検索可能になれば、近世から幕末・明治初期にかけて、西洋の学問が、どのように日本において、いや、当時の東アジアにおいて、受容されてきたのか、そして、考えられてきたのか、このようなことが明らかになるだろう。その時代は、ひょっとすると、かなり近未来におとづれるかもしれない。

だが、その時代を待たずに、今の時点で、できる範囲のことで読んでみた、このように私は感じながら読んだのであった。

たとえば、ウェブスターの辞書のデジタル版(テキスト版)が、各版ごとにそろえば、この本の調査は、もっと精密なものになるにちがいない。だが、とりあえず、著者の見ることのできる版において調べた範囲のことで、これだけのことは分かる。このようなことは、この本を読み進めていくうちに、おのづと納得する。

あるいは、福沢諭吉の著作の、その初期のものがデジタル化されていれば、明治初期における、西周の、また、福沢諭吉の、学術史的位置づけを、総合的に再検討することができるにちがいない。この本では、「惑溺」の語について、福沢への言及があるが、その全著作の語彙については、及んでいない。

このように、この本を読むと、現代の時代における「限界」を随所に感じる。しかし、その「限界」は、逆に言えば、これからの「可能性」でもある。この意味において、将来の研究の「可能性」を、読み取ることができよう。

そして、その「可能性」は、(たぶん、すでに言われていると思うが)、従来の学問の領域構成(文理の区別にはじまって、大学の学部・学科、あるいは、学会の成り立ち、など)を、つきくずすものになるにちがいない。

かつて、明治初期、まだ西洋の学問が日本に入ってきたばかりで、未分化の状態を読み解いている。それを、将来、デジタル化された各種ツールを駆使することによって、新たな学問のあり方を提言することができる……この「可能性」を強く示唆している本だと思うのである。

追記
著者名 まちがえていました。訂正しました。貴光でした。申し訳ありませんでした。

『夏目漱石の妻』最終回2016-10-17

2016-10-17 當山日出夫

やまもも書斎記
『夏目漱石の妻』第三回  2016年10月10日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/10/10/8219701

『夏目漱石の妻』第二回 2016年10月3日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/10/03/8208735

『夏目漱石の妻』第一回 2016年9月27日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/27/8203152

土曜日・日曜と、留守にしていた。国立国語研究所に行ってきた。家に帰って、まず、録画予約してあったのを見た次第。

とうとう猫は、名前のないままで死んでしまった。

メインは、いわゆる修善寺の大患の一件。それから、「則天去私」がどのような形であっても、描くかなと思っていたが、これは出てこなかった。その代わりに描いていたと、私が見て感じたのは、『明暗』の心象風景。

もちろん、『明暗』は未完のままおわり、漱石の絶筆になるわけだが、そこで描かれているのは、なぜ自分はこの女を妻にしているのか、という自問。それを、実際の漱石の生活に投影した形で、脚本を書いたのかな、という気がしてならない。

ただ、よく分からないのは、なぜ、房子を語り手として、視点人物にもってきているのか、ここのところの意図が、いまひとつよく分からなかった。まあ、強いていえば、漱石(金之助)と、鏡子と、両方を客観的に見る、しかも、身近にいる人物ということで、設定されたのだろうか。また、強いて『坑夫』の件をもちだすこともないと感じるのだが、どうだろうか。

ところで、BGMにつかわれているピアノ曲がいい。番組HPを見ると、シューベルトのピアノソナタ21番(田部京子)ということらしい。うまくこの演奏をつかっているなあ、と思って見た。

どうでもいいことだが……もし、大塚楠緒子が登場するとすると、壇蜜あたりがいいかなと思っていたのだが、本当にそうだった……考えることは、同じということか。

『真田丸』あれこれ「入城」2016-10-18

2016-10-18 當山日出夫

今日もテレビの話し。『真田丸』、2016年10月16日、第41回、入城。

描かれていたのは、信繁(幸村)の、豊臣への忠誠心。そして、それとは対照的に、兄・信之のイエ意識。

何のために信繁が豊臣のために戦うことになるのか、それは豊臣への忠誠心であるとしかいいようがないようになってきている。その忠誠心が豊臣の力になっていく。

興味深かったのは、兄(信之)の方の描き方。真田のイエの嫡男を誰にするかで、かなりの時間をつかって描いていた。武術にすぐれている正室の子よりも、文弱ながら年長の子の方を選ぶ。これは、大阪の陣の後の徳川太平の世を見越しての判断ということになるのだろう。

何度も書いたことだが、我々は歴史の結果を知っている。豊臣は滅ぶ。信繁は死ぬ。だが、真田のイエは残る。信之は生き残る。この結果を知っている立場から見て、どのように、それぞれの行動を説得力をもって描けるか、がこのドラマの見せ場になるのだろう、と思って見ている。忠誠心をもつものがほろんでいって、イエを守るという意識で動いた方が生き延びることになる。

大阪の陣に場面が変わってから、信繁が真田の一員であるというイエの意識は、まった出てこないかのごとくである。描かれるのは、武士である信繁と、それをささえるエトスとしての豊臣への忠誠心。信繁の行動は、すべてここから導き出されているようである。

現代の価値観から考えるならば、忠誠心のために命をかける、そして滅んでいくというのは、馬鹿げた行動ということになるだろう。それをどのように説得力をもって描けるかが、このドラマのできばえ、ということになるだろうか。

末延芳晴『夏目金之助ロンドンに狂せり』2016-10-19

2016-10-19 當山日出夫

末延芳晴.『夏目金之助ロンドンに狂せり』.青土社.2016(これは、新装版、原著は、2004、青土社。加筆・修正あり。)
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=2930

今年は、漱石没後100年。NHKでは『夏目漱石の妻』を放送するし、岩波書店は、新しく全集を出す。(この新しい全集、この前に出たのとそう大きく変わることはないようだが、しかし買っておくかなという気にはなっている。全巻予約販売にはなっていないので、順番に買っていくつもり。)

ところで、この本も、漱石没後100年をあてこんで出されたもの。帯には「没後100年/生誕150年記念」とある。「新装版あとがき」を読むと、ちょっとだけ修正を加えたとある。

私は、漱石の作品を読むのは好きな方だが、漱石について書かれたものを読むのは、あまり好きではない。近代文学専攻という立場ではないので、純然たる読者の立場でとおしてきたつもりでいる。とはいえ、日本語学の立場から見て、近代日本語、特に口語散文の成立という観点からは、漱石の文章は重要だとは思っている。

高校生のときぐらいまでに、その当時で、文庫本で読める漱石の作品の主なものは読んでいる。これは、私の年代であれば、ごく普通のことだろう。それから、江藤淳の『夏目漱石』も。

この本について感想を書いておくならば、次の二点。

第一には、「漱石」と「金之助」の虚実皮膜の間、とでもいうようなものを感じる。タイトルは「夏目金之助」としてある。英国ロンドンに留学していたのは、「金之助」であって「漱石」ではない。あくまでも、「文部省留学生夏目金之助」としての生活の足取りをおっている。その「金之助」が、ときどき「漱石」の顔をのぞかせる時がある。ロンドンでの生活、その困窮のなかで、「金之助」をすくったのは「漱石」になれる時であったように理解される。

漱石について、そのロンドンでの生活は、研究がつくされているという感じがしているのだが、この本は、それでもなお、新たな知見を与えてくれるものだろうと思う。(近代文学研究が専門というわけではないので、このあたりの研究分野の事情にはうといのだが。)

第二には、『倫敦塔』の解釈である。この本は、『倫敦塔』の読み解きに、かなりのページをつかってある。「金之助」のロンドン体験がどのようなものであったのか、また、それが、その後の「漱石」の作家活動にどのような影響を与えたものであったのか、『倫敦塔』を読むことによって、解き明かそうとしているかのごとくである。

これまで、『倫敦塔』は、あまり好きな作品ではなかったというべきなのだが、これをきっかけに、再度、『倫敦塔』を読み直してみようかという気になっている。(読むなら、岩波の新しい全集版でということになるか。たぶん、持っている古い版と変わらないはずだが。)

以上の二点が、ざっとした感想である。

気になった箇所を引用しておく。この本は、資料として、漱石の書簡や日記を大量につかっているのだが、

「漱石は、日本の近代文学者のなかでは、初期の漢文体から最後の『明暗』の完全言文一致体まで、一番過激に文体を変えていった作家といっていいだろう。その漱石が自己本来の文体を掴みとる最初のきっかけが、これまで一般に子規との関連で言われてきたような、写生文ではなく、漢文体からやむをえず踏み出してしまった疑似言文一致体や手紙の候文体にあったことは、今後もっと解明される必要があるだろう。」(p.135)

このあたりの指摘は重要かなと思う。

漱石の文章は、今の中学生でも読める。『坊っちゃん』など。理解の難易をとわなければ、『明暗』も読めるだろう。そのような文章がどのような経緯で形成されてきたのか、今後の研究課題になるということだろう。

そして、それは、もはや、漱石コーパス、近代文学コーパス、近代日本語コーパス、というものを駆使しての仕事になるにちがいない。もう私としては、何をするでもなく、ただ、ひたすら、一人の読者の立場で、漱石の作品を読むことにしたいと思っている。

森まゆみ『千駄木の漱石』2016-10-20

2016-10-20 當山日出夫

このところ、漱石関係の本(文庫本などであるが)を、よく読むようになっている。その一冊。

森まゆみ.『千駄木の漱石』(ちくま文庫).筑摩書房.2016 (原著、筑摩書房.2012)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480433589/

例によって付箋をつけながら読んだが、その付箋をつけた箇所をいくつか。

「『道草』と『吾輩は猫である』は女がよく書けていると私は思う。」(p.86)

女性の読者から見て、漱石の作品に描かれた女性はどうなのか、わからないが、言われてみれば、なるほどそういう見方もできるのか、と感じないではない。『道草』『猫』ともに、千駄木に住んでいる時代を描いているといってよい。だが、作品としては、対照的な内容になっている。この二つの作品で出てくる「女」は、当然ながら、漱石の妻(鏡子)がモデルと考えていいのだろう。

「この二作だけはともに生活を積み上げた夫人鏡子がモデルであって、実にリアリティがある。神経質で夢見がちな夫に付き合ってはいられない。「私には子どもがおり、生活がある」。私はこの妻の言い分に共感する。」(p.86)

この意味では、その対極にあるのが、美禰子(『三四郎』)なのかもしれないと思ったりもする。

また筆者(森まゆみ)は、こうも書いている。

「漱石の書いたもので一番好きなのは書簡。何で家族以外にはこんなにやさしいんでしょう。」(p.120)

漱石全集(岩波版)、今のところ二セットともっている。が、あまり、私は、書簡とか日記までは、目をとおすことがない。

とはいえ、近代文体の成立という観点から見るならば、漱石の書簡の文章というのも読んでおかなければならなかな……となると、こんど岩波からでる新しい全集を買って、それで読むことにしようか、などと思ったりである。(この件については、『夏目金之助ロンドンに狂せり』(末延芳晴)に言及がある。

やまもも書斎記 2016年10月19日
末延芳晴『夏目金之助ロンドンに狂せり』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/10/19/8232019

その漱石の文章についていえば、次のような指摘も重要かと思う。

「のちに弟子となる森田草平は、漱石のことを「眼で見て書くよりは耳で聴いて文章を作った人である」と評した。でたらめな当て字を用いたのもその証左であると。同時に『猫』の快いリズムもまた「耳の人」漱石ならではのことである。」(pp.217-218)

そう言われてみれば、『草枕』の冒頭も、眼で見る文章というよりも、耳で聴く文章と理解される。

漱石の作品の多くは新聞連載(朝日新聞)であるが、その読者は、音読したものだろうか。それとも現代のように黙読が中心であったのか。このあたりの事情を考えて見ることも、漱石の文章の成立……近現代の口語散文の成立……と、どこかでつながることにちがいない。

ともあれ、この『千駄木の漱石』、漱石の文学で楽しんでいるという雰囲気の伝わってくる作品になっている。近代文学専攻ということで、作品の「解釈ゲーム」の修羅場となっているような(と、勝手に思い込んでいるのだが)漱石について、気楽に読める楽しい本だと思うのである。だが、そのなかには、時としてするどい指摘のあることも見逃せない。貴重な本である。

柳田国男「浜の月夜」「清光館哀史」2016-10-21

2016-10-21 當山日出夫

書斎の床の上につんだままになっていた。『日本近代随筆選』(岩波文庫、全3冊)。

ときどき手にとって、きままにページをくっているのだが、ふと「浜の月夜」「清光館哀史」が目にとまった。第一冊「出会いの時」所収。「浜の月夜」「清光館哀史」が、連続して掲載になっている。この本、原則、一人の著者につき一作品しか収録していないにもかかわらず、この箇所だけは、例外的なあつかいになっている。

千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重(編).『日本近代随筆選 1 出会いの時』(岩波文庫).岩波書店.2016
https://www.iwanami.co.jp/book/b243810.html

筆者は、いうまでもなく柳田国男。

この文章については、すでに触れたことがある。

やまもも書斎記 2016年8月15日
ちくま学芸文庫『なつかしの高校国語』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/15/8152283

この二つの文章、『筑摩書房 なつかしの高校国語』にも掲載になっている。

筑摩書房編集部(編).『名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語』.ちくま学芸文庫.2011.筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480093783/

ここでも「浜の月夜」につづいて「清光館哀史」が掲載になっている。この二つの文章、連続しているものとして読んでいる。だが、もともとは別々に書かれたものが、『雪国の春』を編纂するときに一緒になったものである。

柳田国男.『雪国の春』(角川ソフィア文庫).角川学芸出版.2011新版(1956年初版)
http://store.kadokawa.co.jp/shop/g/g201108000861/

まず、「浜の月夜」で、清光館と称する宿にとまったこと記される。それをうけて、

「お父さん。今まで旅行のうちで悪かった宿屋はどこ。/そうさな。別に悪いというわけでもないが、九戸の小子内の清光館などは、かなり小さくて黒かったね。」

とつづくところに、この文章の妙味がある。

ちくま学芸文庫版で読んで、角川文庫版で読んで、さらに、岩波文庫版で読んで……しみじみと、時代を経てしまったものだ、ということを感じる。もうこのようなのどかな文章を書いている時代ではないだろう。

SNSでは、ちょっと旅行に出れば、旅先の写真がつぎつぎとアップロードされる。この駅につきました。こんなお店にはいりました。いま、こんなものを食べています・・・

これはこれで、今の時代としてのあり方なんだろうなとは思うものの、「浜の月夜」「清光館哀史」の文章を読んでみると、今よりのんびりしていたかもしれないが、しかし、それだけにかえって濃密な時間の流れがあったように感じる。現代、これらの文章を読んで感じ取るべきものがあるとするならば、時間の流れに対する感覚の違い、とでもいうべきものになるだろうか。

「浜の月夜」を書いて、何年か後になって「清光館哀史」を書いて、本にするとき、連続するように編集する。いまでは、もうこんなふうにして文章を書き、本をつくっていくという時代ではないのかもしれない。
「浜の月夜」は、大正9年。朝日新聞に「豆手帖」連載。
「清光館哀史」は、大正15年。『文藝春秋』。
『雪国の春』にまとめられるのは、昭和3年。岡書院。
そして、今、私たちは、この二つの文章を連続するものとして鑑賞している。(以上、角川文庫の解説による。)

それ以前に、人が旅にでて感じるものが変わってしまったようにも思える。かつて柳田国男が清光館というふるびた小さな宿に泊まって、感じたこと、思ったこと、その土地と人びとへのまなざし。それを、数年後に、同じ土地をたずねて、ふりかえっている。そこでの感慨。そして、それを本にするときに、めぐりあわせる。

ところで、「日本近代随筆選」は、しまいこんでしまわずに手元においておきたいと思ってそばにおいてある。といっても、書斎の床の上にであるが。

たとえば、「末期の眼」(川端康成)。昔、何かで読んでいたはずの文章なのだが、今、読み返すと、この文章を書いた人間が、あのような最期をむかえることになった……忘れていたわけではないのだが、改めて気づかされる。

岡茂雄『本屋風情』2016-10-22

2016-10-22 當山日出夫

柳田国男の『雪国の春』については、触れた。

やまもも書斎記 2016年10月21日
柳田国男「浜の月夜」「清光館哀史」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/10/21/8233186

ここで、「浜の月夜」と「清光館哀史」が一緒になったのは、『雪国の春』の刊行の時と書いておいた。昭和3年刊、岡書院。この岡書院の岡茂雄の書いた本が、『本屋風情』である。

岡茂雄.『本屋風情』(中公文庫).中央公論社.1983 (原著、平凡社.1974)

今では、もう売っていないようである。

これをよむと、「よくぞ生まれた『雪国の春』」という文章がのっている。読むと、興味深い。冒頭を引用する。

「昭和二年十一月下旬のある日、陽も落ちて燈火のの冴える頃であった。柳田(国男)先生が電話で「すぐ朝日(新聞社)へきてくれないか」といわれたので、何事かと思い、車を呼んで駆けつけた。先生は当時朝日新聞社の編集局顧問で論説を担当しておられた。(中略)先生は改まった面持ちで「君は岩波(茂雄)君と親しいようだから、本(出版)を頼んでくれないか、一月にはどうしても出したい本なんだ」といわれた。」(p.88)

活版の時代である。現代のようにデジタルデータで原稿がそろっているという状況ではない。11月に話しをして、1月には本を出したいというのは、無理だろう・・・と、まあ、常識的には考える。

しかし、この本『雪国の春』は、柳田国男としては、岩波書店から出したい意向のようだったらしい。それが無理と判断して、岡書院から出ることになった。そして、その岡書院は、なんとかそれを実現してくれたことになった。

読むと、いそいだ出版だったらしいので、いろいろトラブルがあったようだ。1台(16ページ)、印刷しなおし、というようなこともあったらしい。

そして、最後に次のようにあるのが印象的である。

「十二年の後、S社から何々選書の仲間入りをして再刊されたが、国民服をまとうたような恰好で現われ、掛けた襷字を見なければ『雪国の春』と知ることもできないような姿を、侘しく眺めなければならなかった。」

さもありなん。『雪国の春』におさめられた文章は、国民服にはふさわしくない。昭和(戦前)の世相をあらわす出版史のひとこまかもしれない。

なお、この岡書院という出版社。戦前の言語学・民族学などの分野で名をのこしている。言語学関連では、この『本屋風情』に登場する本としても、
『アイヌ叙事詩/ユーカラの研究』生誕実録
『分類アイヌ語辞典』と金田一博士
ソッスュール『言語学原論』を繞って
『広辞苑』の生まれるまで
などの文章が収録になっている。国語学・日本語学研究史としても、興味深い内容である。