細谷雄一『歴史認識とは何か』2016-11-04

2016-10-04 當山日出夫

細谷雄一.『戦後史の解放1 歴史認識とは何か-日露戦争からアジア太平洋戦争まで-』(新潮選書).新潮社.2015
http://www.shinchosha.co.jp/book/603774/

この著者(細谷雄一)の本については、以前にふれたことがある。

やまもも書斎記 2016年7月14日
細谷雄一『安保論争』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/14/8131019

本としては、この新潮選書の方が一年はやく出ている。そして、一読した印象としては、『安保論争』で展開されている、筆者の、近現代史についての考え方を、ひろく述べているものになっていると感じる。

興味ぶかかったのは、冒頭。戦後50年の村山談話についてのこと。筆者は、どちらかといえば、村山談話には批判的なようである。その批判的というのは、その内容についてではない。そうではなく、そのような談話を出して、歴史観を国家の正面に掲げてしまったことの功罪についてである。

「歴史認識がそれぞれの国のアイデンティティと深く結びついている以上、そもそも国境を越えた歴史認識の共有がいかに難しいのかという意識が、おそらく村山首相には欠けていたのだろう。国家間の問題においても、十分は誠意を示せば決着がつくと感じていたのかもしれない。ところが歴史認識問題という「パンドラの箱」を開けた結果、むしろ中国でも韓国でも歴史認識問題を封印して、凍結しておくことがもはや不可能になってしまったのだ。」(p.29)

また、次のような箇所。

「戦争に勝利を収めた連合国は、戦闘の勝利を手に入れただけではなく、歴史の正義をも手に入れることができた。」(p.31)

そして、次のような指摘も重要だろう。

「戦争をどのように位置づけるかについて、第一次世界大戦後のドイツ国民は、イデオロギー的に分裂していた。そのような意味で、第一次世界大戦後のドイツと、第二次世界大戦後の日本には多くの共通点がある。」(p.32)

それから、次の箇所。

「日本の歴史教育におけるもう一つの問題点は、世界史の中に日本が出てこないということである。世界が出てこない日本史も問題だが、日本が出てこない世界史にも問題がある。」(p.62)

以上の引用は「序章」の部分からである。つづいて具体的な近代史の記述になる。そのなかで、たとえば、満州事変と国際連盟との関係などについて、世界史の視点から日本史の事件をみるべきことが、記される。

余計なことながら、ちょっと気になったことがある。この本の先行研究、参考文献のなかに、松本健一の名前が出てこないことである。近年の歴史学において、日本近代史を、世界史のなかで、あるいは、東アジア近代史のなかで論じようとした仕事を残した人であると、私は認識しているのだが、なぜか名前が出てこない。

歴史学、日本近代史専攻というわけではないので、学界事情にはうといのだが、どこかで、基本的に在野の人であった松本健一の仕事は評価しないという雰囲気があるのかな……などと思ってしまうのだが、どうなのであろうか。

ともあれ、この本『歴史認識とは何か』『安保論争』は、歴史叙述の着眼点としてきわだつものがあるし、そして、その叙述もうまい。今後の活躍に期待したい俊英というべきであろう。

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