山の風景と水の風景2016-11-19

2016-11-19 當山日出夫

かなり以前のことである。何かの雑誌を見ているときに読んだ。このようなことが書いてあった。

人間には二種類ある。山をみていると心落ち着く人間と、海をみていると心落ち着く人間と。

著者は、私の記憶では、山根基世(NHKアナウンサー)。うろ覚えなのであるが、今となっては確認のしようがない。しかし、いかにも、山根アナの書きそうなことばだという印象を持って覚えている。昔、東京に住んでいたとき、NHKの「関東甲信越ちいさな旅」という番組をよく見ていたものである。

この意味では、私は、はっきりと「山」の人間だなと思う。生まれたのは、海からそう遠くない村であるが、育ったのは、京都の宇治市。家からは、山が見えた。山から登る朝日を見て、山に沈んでいく夕日を見て育った。

ところで、宇治といえば、宇治川……家から歩いていけるところに流れていたのだが、川の印象はさほど強く残っていない。私の原風景にあるのは、やはり山である。それも峨々たる高山というべきものではなく、南山城地域の京都盆地のなだらかな丘陵といってもよい山。そして、そのふもとにある茶畑。

なぜ、このようなことを書いているのかというと、今、読んでいる本が、

川本三郎.『白秋望景』.新書館.2012
https://www.shinshokan.co.jp/book/978-4-403-21105-8/

北原白秋についての評伝である。白秋はいうまでもなく柳河(ママ)の生まれ。その作品には、「水」のイメージがまとわりついている。「水」をめぐって、この本は書かれている。

また、川本三郎には、『大正幻影』もあるが、ここでも、大正時代の作家たちが、東京の隅田川に江戸時代の幻影をみていたことが記される。

川本三郎.『大正幻影』(ちくま文庫).筑摩書房.1997 (原著 新潮社.1990)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480032669/

この本については、すでにふれた。

やまもも書斎記 2016年11月5日
川本三郎『大正幻影』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/11/05/8242327

水の風景に郷愁を感じる人もいれば、山の風景にこころなごむ人間もいる。ひとそれぞれと言ってしまえばそれまでだが、『大正幻影』『白秋望景』を読んで、水の風景というものについて、思いをはせている。

また、京都もある意味で「水」の街である。

暮らす旅舎.『水の都 京都』.実業之日本社.2014
http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-42063-9

そして、今の私の住まいの近くにも川がながれている。だが、私の風景は山のある景色に落ち着く。水についての文章をよみながら、つくづく、自分は山の人間なのであるということを感じている次第である。